「動物園に恩返しがしたい」五代目猫八が乗り越えた12年もの闘病生活と江戸家の芸
◇取材で初めて口にした「父の跡を継ぎたい」 その後、猫八は父に入門することになるのだが、父に「弟子にしてほしい」と直接お願いしたわけではないという。転機となったのは2009年の正月。 父が「江戸家小猫」から「四代目江戸家猫八」を襲名することになった、その発表の記者会見での出来事だった。 「私は手伝いとして同席していたんです。そこに私のことを気にかけてくださった新聞記者がいて、私がインタビューを受けることになったんです。父が目の前にいる状況で、インタビュアーさんに“将来、お父さんの跡を継ぎたいという思いはありますか?”と聞かれました。 それに対して、“父の跡を継いでやっていきたいという思いは持っています”と、自然と答えたんですね。もちろん具体的なプランがあったわけではなく、今思えば子どもの頃に抱いた「憧れ」が答えてくれたのかもしれません。 父の前で自分の気持ちを口にしたのは、そのときが初めてでした。取材だったからこそ言えたんだと思います。それを父は横で聞いてた。不思議な形ですけど、それがきっかけになったんでしょうね」 さらに、その会見の直後、父と群馬県の法師温泉にバードウォッチングに出かけたときのエピソードを話してくれた。 「遠くのほうでウグイスがひと鳴きしたんですよ。そこで父に“ウグイスの鳴きまねの練習をしていた”と告白したんです。じつは長い闘病生活の後半、父や家族にも見せずにこっそり指笛の練習をしていました。 今なら父に聴いてもらえるかなと思ったので、そこでウグイスを鳴きました。そうしたら、父が“もう少しケキョの部分を歯切れよくできるか?”と言ったので、私なりに調整をして、また鳴いてみた。 あとあと聞くと、私がそこで修正することできたのが、鳴いたこと以上にうれしかったそうなんです。音を変化させられるのは、しっかり基礎ができている証だと。 その夜、一緒にお風呂に入ってたときに、父から“この秋から襲名公演で各地を回るから、親子共演してみないか?”と言われたんです。これが父から私への、師匠としての言葉でした。とても嬉しかったのを覚えています」 そして、2009年の秋から「そのうち小猫」を名乗り、父の四代目猫八襲名披露興行に同行。全国十数か所の公演で親子共演を果たす。初めて舞台に出て行ったときに感じたのは、お客さんの“どよめき”だったという。 「四代目猫八の、若くてハツラツとしたイメージってあるじゃないですか。そのイメージに対して、少し濃いめ顔、えらく落ち着いた雰囲気の息子が出てくるのを、お客さんは想像してないんですよ。 私が出るだけで、お客さんがどよめいたんです。そのときに、父は“これは何よりの武器だ”と言ったんです。見た目も同じような息子が出てきて、“そっくりですね、芸も似てますね”っていうのはすぐ飽きられてしまう。“見た目だけでお客さんがどよめいてくれるのはとても素晴らしいことだからな”と」 また、芸を披露するときの喋り方も、父とはまるで違った。猫八の元来の性格もあり、堅い雰囲気で真面目な喋り方だった。これもお客さんにウケたそうだ。 「闘病生活で培ったものと、修士論文を書いていた影響と、とにかく真面目な口調だったんです。それをそのまま舞台で出したら、いろんなお客さんから“面白い”って言われたんですよ。滑稽な鳴きまねの芸とのギャップを感じたんでしょうね」 寄席にはいないタイプの堅い喋りが功を奏した。「お父さんともおじいちゃんとも違う真面目な感じが面白い」「学校の先生みたいだけど、すごく言葉が入ってくる」とお客さんからは大好評。しかし、この喋り方や性格はコンプレックスに感じていたことだったという。 「高校時代、父や祖父のようなお茶目で明るい芸は自分には向かないと思ったんです。跡を継ぎたい思いはあるけど、とてもとても……と思っていた。いざ、自分の喋りで舞台に立ってみたら、これがウケた。“自分のままやっていいんだ”って思いました。じつは、これが本当の意味で“この世界に飛び込もう”と思ったきっかけなんです。お客さんから教えていただきましたね」 ◇襲名のタイミングは“周りが決めてくれる” その後、2011年に「二代目江戸家小猫」を襲名。父とともに寄席での高座を務めるようになる。しばらくは父と二人で高座に上がっていたが、これは父の方針によるものだった。 「父から話を持っていけば、もっと早く私一人で寄席に出る流れを作れた可能性もあると思うんですが、父はそれはしませんでした。私の芸が良くなってきたら、おのずと周りから“そろそろ一人で高座に上げていいんじゃない?”と声が上がるはずだ、と。そのときを待ったんです」 親子で寄席に出るようになって一年半ほど経った頃、父の言葉通り、落語協会の理事会から声がかかり、猫八は晴れて正式な入会を果たし、一人で高座に上がるようになった。 2023年に父の跡を継いで「五代目江戸家猫八」を襲名することになるのだが、このときに大切にしたのも父の思いだった。 「2016年に父が亡くなりました。亡くなる直前、父は遺言のように“猫八襲名のタイミングはお前に任せるから、自分で考えてごらん”と言ってたんです。 弟子は私一人で、さらに息子ですから、私からアクションを起こせば、襲名の流れはつくれる。ですが、亡き父の教えがポンと背中を押してくれました。つまり、私が寄席の世界に入ったときと同じように、周りの声を大切にしてみようと」 そんな父の思いを胸に一生懸命、猫八は芸を磨いた。そして、2019年には若手演芸家の登竜門である、花形演芸会の大賞を寄席生え抜きの色物として初めて受賞する。 「この頃から、明らかに周りの声が変わりだしたように感じます。“そろそろ猫八に”という声をいただく機会がじわりじわりと増えました」 しかし、世の中はコロナ禍となってしまい、機を見て襲名することとなり、2023年春にめでたく「五代目江戸家猫八」を襲名した。 「もう少し早めに自分が動いていても襲名できたかもしれませんが、何より父が大切にしていた周りの声を私も大事にしました。結果、盛大に披露興行を打つことができて、たくさんの方に祝っていただけました。この世を去ったあともなお、父は師匠として道筋を作ってくれたのかなって思います」