林 咲希「あきらめずに戦えた。それが今の自分の誇り」
瑠唯さんがいたからバスケットが面白く思えた
バスケットの名門・白鷗大学でインカレ優勝、MVPと得点王を受賞した林は17年、〈JX―ENEOSサンフラワーズ(現・ENEOSサンフラワーズ)〉に加入した。 誘ったのは当時チームのヘッドコーチ、トム・ホーバス氏。彼はすぐに日本代表ヘッドコーチに就任したため指導を受けることはなかったが、林はこのチームに来て、バスケットの厳しさをたっぷり味わうことになる。 「大学のときとは雰囲気が違うし、取り組む意識も違うから、練習強度が自然に上がるんです。もうレベルが違いすぎるから、試合に出られないと思いながら練習していました」 全日本選手権で27回の優勝を誇るトップチームであり、林はケガもあって5年間レギュラーに定着できなかった。そんななか19年に、林を日本代表に選出してくれたのもホーバス氏だった。彼は、背の低い日本人は3ポイントを武器にした方がいいという考え方を持っていた。その3ポイントの名手が林だった。 迎えた21年、東京オリンピック。林は奇跡を起こす。準々決勝のベルギー戦で、試合終了残り15秒、2点のビハインドの場面で3ポイントを決めたのだ。林の名前が広く知られたのは、このときだったであろう。 そして昨年、彼女は富士通レッドウェーブに移籍した。やっと、ENEOSサンフラワーズの中心選手として活躍し始めてきたのに、だ。 「チームの若い子のことを考えると、絶対残った方がいいと思いました。でも、自分も成長したい。29歳という年齢で、移籍するなら今年じゃないと、来年どんなプレイができているかわからない。 それで、(富士通は)3ポイントを多く打つチームですし、(町田)瑠唯(ポイントガード)さんがいるから、バスケットが面白く思えた。成長できる、楽しめる場所はと考えて選びました。今、ようやく少しずつですけど、チームと嚙み合ってきた感じなんです」 23-24年シーズン、富士通はレギュラーシーズン1位を決めた。プレーオフに進出して、優勝の可能性も十分ある。チームの歓喜の瞬間を見られるかもしれない。