『逃げ上手の若君』太古の神秘が息づく地・諏訪の祭り 古代から続く信仰と神話の世界
TVアニメ『逃げ上手の若君』に登場する諏訪頼重は、信濃国・諏訪大社の当主であり、「現人神」として信仰の対象になっている。神力を操ることができ、予知能力もあるというがどこか曖昧で胡散臭い……という人物だ。時行たちが過ごす諏訪の地は、古くから信仰が根づく土地だった。今回は諏訪頼重の領地、諏訪の地を巡る神話と信仰の物語をお届けする。 ■諏訪湖の不思議な現象と古代神話 諏訪湖の北東にそびえる山々には旧石器時代の遺跡がいくつも残されており、太古の昔から人々がこの地域で自然と共生しながら生活を営んできたことがうかがわれる。ここは全国でも有数の黒曜石の産地でもあり、縄文時代の採掘跡とされる下諏訪の星ヶ塔遺跡で産出された黒曜石は鏃(やじり)や石刀などの石器として関東地方や遠く三内丸山遺跡にまで運ばれていった。 大自然の事象に神秘を見出してきた古代の人々の信仰の中心にあったのが諏訪湖だ。長い年月をかけて流入した土砂や江戸時代に行われた干拓のため今でこそかなり小さくなってしまったが、『逃げ上手の若君』の物語の当時でも現在の倍近い面積があり、諏訪大社の門前近くまで波打ち際が迫っていたと考えられている。 冬を迎えて湖全体が結氷すると、昼夜の寒暖差で収縮を繰り返した氷が雷鳴のような大音声ととともにぶつかり合って盛りあがる現象が起こる。あたかも一筋の道のように見えるこれが「御神渡り(おみわたり・『御神渡り』とも)」で、この現象に神秘を感じた人々により諏訪神社上社に鎮座する男神・武御名方(タケミナカタ)が下社の女神のもとに通ってできた跡だと言い伝えられてきた。大きいものでは高さ2メートル近くにも達し、その年の作物の出来や社会の出来事の吉凶を占うものとしておよそ600年もの間連綿と続く神事として無形民俗文化財にも指定されている。しかし現在は温暖化の影響もあってか2024年現在で6季連続御神渡りが出現しない「明けの海」と呼ばれる状態が続いている。 諏訪大社の祭神である健御名方は『古事記』によると国譲りを迫った武御雷と戦って敗れ、この地に逃れてきたと伝えられている。しかし、諏訪地域の伝承ではやや性格が異なっており、土着の神々を平らげてこの地を征服した来訪神という性格づけがなされている。諏訪大社の神長官をつとめ、御左口(ミシャグジ)神を祀る守矢氏はこのとき健御名方に服属した土地神・洩矢神の末裔といわれる。 戦いを司る武御名方は武士の崇敬を集める存在だった。鎌倉時代には霧ヶ峰に続く御射山に全国から武士たちが集まって流鏑馬や笠懸、犬追物や相撲などの武芸を奉納する大々的な祭りを行い、武運長久を願った。また、武御名方命は狩猟の神としての性格もそなえており、神事には狩りの獲物が捧げられた。諏訪湖の背後にそびえる八ヶ岳の裾野は神野と呼ばれ、3月の酉の日に行われる御頭祭の贄となる鹿や猪、兎などの獣を得るための狩猟場とされた。 ここで狩られた鹿の中には必ず一頭は耳の裂けた耳裂鹿と呼ばれる鹿が混じっていたとされる。実際にオス同士の争いなどでそうした傷がつくことはまれにあるようだが、古の人々はこれを神が贄としてあらかじめ矛で徴をつけた跡として珍重した。こうしたことから諏訪では肉食が正当化されており、諏訪大社が発行する「鹿食免」という狩猟・肉食の免許状は諏訪大社の大切な収入源の一つだった。 諏訪の祭りとしてもう一つ有名なのが御柱祭こと式年造営御柱大祭である。平安時代から続く諏訪地域最大の祭りで、寅年と申年に諏訪大社の4つの社にそれぞれ4本ずつ建つ柱と宝殿が新しく建て替えられる。その由来と意味は様々に解釈されてきたが、山から切り出した材木と共に氏子たちが斜面を駆け下りていく姿は今も昔も変わらず勇壮そのものである。 諏訪地域をめぐると、小さな社のひとつひとつにも御柱が建てられているのを目にすることができる。古代から中世を経て連綿と続いてきた信仰の息吹きは、今もたしかに息づいているのである。
遠藤明子