WALK on the WILDSIDE -全天候型放浪記- 宝島アイランドバックパッキング
テントサイトに島の子たちがやってきた
宝島の港に着くと、岸壁の巨大な壁画が出迎えてくれた。高さ15m、長さ112mにわたって極彩色の絵が躍動している。これは「宝島にタカラモノを作ろう! 」と島の人々が壁画化のロコサトシさんといっしょに作り上げた作品だ。その鮮やかな壁画の前で島の人たちが忙しそうに荷役作業に走り回っていた。 僕は港を出るとキャンプ場へ行き、がらんとした空き地にテントを張った。ここは島で唯一の海水浴場に隣接している。サンゴ礁が隆起した岩盤に狭い水路と侵食された入り江があり、そこに白い砂のビーチがある。それはまるで海賊船を隠すための秘密の入り江のようだった。 その日の午後、ビールを飲みながら炊事場で米を炊いていると、島の子どもたちがワイワイと遊びに来た。こんな季節外れに野宿をしている僕のことはすでに島の噂になっているようだ。 「おじさんひとりでなにやってるの? 」と5人のなかでいちばん幼い少年が僕をのぞき込んで言った。 「宝探しに来たんだよ」と答えると、おそらく観光客はみんなそう答えるのだろう、年上の子どもたちは鼻白んだが、その男の子だけは「フーちゃん、宝物の場所知ってるよ! 」と弾んだ声で答えてくれた。 この男の子は風太くんといったが、もう大きいのに自分のことをフーちゃんと呼ぶのがおかしかった。隣にいる眼鏡の愛らしい少女は彼のお姉ちゃんで、名前は楽花もとかだと教えてくれた。 「楽しい花って書くのか。いい名前だね」というとフーちゃんが「うちはみんなの名前に花鳥風月が入っているんだ」と解説してくれた。長女が楽花で、長男が風太で、次女が月音。なるほどなるほど。 「じゃあ鳥はだれなの? 」と聞くと「お父さんとお母さん」という。 「どうして? 」と聞くと「ふたりには翼があるからだよ。そのつがいの鳥が花と風と月を育ててるんだ! 」とキラキラした目で教えてくれた。ずいぶんおもしろい子だなあ、と僕は思った。
島の子どもたちと馬を撫で、洞窟へ探検に出かけた。
今日は卒業式。そして明日は鳥だちの日だ。 その後子どもたちに誘われ、みんなでトカラ馬を見に行くことにした。アダンの林を抜け、砂利道を少し歩くと柵で囲った小さな牧場があり、2頭のトカラ馬とポニーがひなたぼっこをしていた。子どもたちは慣れた手つきで小屋からニンジンの束を持ってくると馬に与え、そのたてがみを優しく撫でた。 山下流颯るかくんという年長の男の子が馬を撫でながら「今日は卒業式だったんだ」と教えてくれた。この春に島の中学校を卒業したのはふたりで、流颯くんは明朝の村営フェリーに乗って島を出る。鹿児島の全寮制高校へ進むのだ。 進学や就職のために島を出て行くことを「島立ち」という。少年少女にとってその日は人生でいちばん大きな日だ。流颯くんは静かにを撫でていたが内心はいったいどんな気持ちなのだろう……。わずか15歳で親元を離れ、この島と友だちを置いてとてつもない大海に出ていくのだ。それを思うと思わずウルウルした。いかんいかん。おっさんになると涙もろくていかん。 帰り道、フーちゃんに「明後日はまだここにいる? 」と聞かれた。鍾乳洞探検に行こうと思っていると答えると「じゃあフーちゃんが連れてってあげる」と頼もしい返事が返ってきた。待ち合わせのために家の場所と名字を聞くと「竹内だよ」と言われておどろく。 宝島に来る前日、僕は鎌倉のパタゴニアでいま被っているトビウオのキャップを買った。そのときに対応してくれた女性スタッフになにげなく「明日から宝島に行くんですよ」と話したのだが、おどろくことにその女性は「私、宝島にいたことがありますよ」と言う。これまでさんざん「ディズニーランドですか? 」と言われてたので僕はおどろいた。聞くと2018年に宝島沖でタンカーが沈没し大量の重油が押し寄せた際に、サンゴ礁の重油除去ボランティアで現地にしばらく滞在していたそうだ。 「島では竹内功さんというトビウオ漁師さんにお世話になってました。小さい島なのできっとどこかで繋がると思いますよ」と言われていたのだ。 まさかそれがフーちゃんのお父さんだとは……。 このあと功さんが軽トラでフーちゃんを迎えに来たが、父鳥はかなりぶっ飛んだ人だった。若いころはスノーボードに夢中になり、北海道のルスツに篭って雪山を滑りまくっていた。この当時は東京のバーで働いていたが、そのときに奥さんの寿恵さんと知り合い、これからどこで暮らそうかと考えているときに宝島の存在を知った。 「宝島という名前に魅かれて下見に来たんですが、島に下り立った瞬間にここで暮らそうと決めました」。 2011年に移住し、いまは島バナナの農家をしたり、夏はトビウオ漁に出てそれを加工販売したり、高速艇の船長をして暮らしている。またバナナの葉から繊維を作り、それで帽子を作る独自の島おこし活動も。寿恵さんは元々海外で活躍していた服飾デザイナーで、島のおばあに習って機織りなんかもしているそうだ。フーちゃんの言うとおり自由な翼を持ってる感じがすごかった。