【ザ・作州人】 プロスケートボーダー 清水潤さん/岡山・津山市
パリ五輪の感動から2カ月。 今回の 「ザ・作州人」 はプロスケートボーダーの清水潤さん(43)を取り上げる。 サラリーマンとして家族を養う一方で、 再起不能のケガを何度も克服し、 いまなお現役。 人望も厚く、 日本スケートボード協会九州支部やオリンピック代表選手選考会審査員のト ップを任されている。 モットーは 「3万6000%全力」 だ。
チャラさなどみじんもない。 プロスケートボーダーの清水さんは選手生命を左右するような大ケガから何度も何度も立ち上がり、 この道を追求してきた。 最大のピンチは2012年。 当時所属していたチームのビデオ撮影中にとんでもない不運に見舞われた。
「ストリートのカーブでグラインドをしたら引っかかってしまって」 あろうことか木の幹に頭から突っ込み、 頭部を10針縫う大ケガ。 これだけでも壮絶だが、 半年たっても手足のしびれと首の痛みが引かない。 そこでMRI検査を受けると重度の首のヘルニアと診断され、 医師からこう告げられた。
「いつ下半身まひになっても不思議じゃない。 せき髄がつぶれていて歩けていることが奇跡。 スケートボード以前に、 もう運動するのを諦めた方がいい」
引退宣告に一時はメンタルまでやられ、 激やせ。 しかし、 懸命のリハビリと家族や医師、 スポンサーの支えもあり、 発症から1年半後、 奇跡の復活を果たした。
さらに20年には右膝半月板損傷と同時に変形性膝関節症を発症。 2度目の再起不能になりかけたが、 1本30万円のPRP注射を3本打ち、 トレーナー指導を受けるなど懸命なリハビリを経て復帰を果たしている。
そんな清水さんがスケボーを始めたのは中2の終わり。 それまでは野球少年でプロの世界を夢見ていたそうだが、 2歳上の兄・豪さんに 「お前、 丸坊主で服装もださいのう。 たまにはスケボーでもや ってみい」 と言われたのがきっかけだった。