【ザ・作州人】 プロスケートボーダー 清水潤さん/岡山・津山市
そこからはスーパー 「マルイ」 の駐車場が主な練習場。 「初日にオーリーという技で10?ほど飛べて、 めちゃおもろいと思い、 ハマ っていきました」
津山高に進んでからはもっぱら津山総合体育館の広場で練習。 インターネットが普及していない時代とあって海外のビデオを通販で購入し、 技を磨いた。
「3年間で左足の骨折2回、 じん帯を1回切って毎日のようにギプスをはめ、 松葉づえ状態で通学。 高校の同窓会に出たとき、 友だちから松葉づえ姿しか思い浮かばん、 と言われました」
本格的にプロを目指したのは九州工大に進み、 親友となる西田耕治さんと出会ってから。 公式戦に出場するようになったが、 本番に弱く結果が出なかった。
04年休学して背水の陣で臨んだ 「全日本アマチュア選手権大会」 では前日の練習時に転倒。 顔面をバンクに強打し、 一時記憶喪失にもなった。 そんな中、 ここで8位に入ると、 続く 「全日本プロアマオープン」 で5位に入賞し、 ついに念願のプロとなった。
その後はステータスを高め、 自身のプロモ ーション映像を作製。 ムラサキスポーツなどの複数のスポンサーがつくようになった。 さらに18年には人気ブランド 「DORCUS」 から自身の名前が描かれたシグネチャーデッキもリリース。 これはプロとしてひとつの到達点でもある。
指導する側にもなり、 2011年からは日本スケートボード協会九州支部長。 19年からワ ールドスケートジャパン強化指定選手選考会ヘッドジャッジも務め、 東京、 パリ五輪の代表選考に関わった。
「ここまでの自分のストーリー性や人間性が評価されたのかもしれません」
そうそう、 スケートボード男子ストリートで堀米雄斗選手が大逆転で2大会連続金メダルを獲得した今夏のパリ五輪。 その際 「ゴン攻め」 「まじ、 やべ~」 といった独特の解説で注目されたプロスケートボーダーの瀬尻稜さんとも親しい関係だ。