「私が大学1年のとき、母が自殺で亡くなった」「うつ病と更年期が重なって…」上智卒の筋トレコスプレイヤー(27)が明かす、“優しい母親”が自ら命を絶った経緯
コスプレイヤー、俳優として活動し、トレーニーとしてベストボディ・ジャパン2019日本大会ベスト4の成績も残す桃戸もも(27)。 【スタイル抜群ショット多数】バキバキに鍛え抜かれた腹筋とお尻の筋肉が凄すぎる…上智卒の筋トレコスプレイヤー・桃戸ももさん27歳の“撮りおろしグラビア”を一気に見る うつ病で母を亡くしている彼女に、家庭の様子、母に訪れた変調の数々や親子の仲などについて、話を聞いた。(全2回の1回目/ 2回目 に続く) ◆◆◆
高校2年生頃から、母の情緒が不安定になり始めた
――お母さんは情緒不安定だったとのことですが、いつぐらいからそうした状態になったのでしょう? 桃戸もも(以下、桃戸) 私が高2の頃あたりからですね。「お母さんヒス構文」ってあるじゃないですか。もともと、ああいう感じの人ではあったんですよ。 ――論点をとんでもない方向へ飛躍させたり、「どうせお母さんが悪いんでしょ」と自身を卑下するようで相手を責めるような。 桃戸 そうです、そうです。そういう話し方や振る舞いは前からあったんですけど、急にひどくなって。「そんなことで?」っていう理由で、ものすごく怒るようにもなったんです。 たとえば、用事があって私が横浜にいたんですよ。それで母に電話を掛けて、「横浜にいるから、こっちでご飯食べない?」って提案して。そうしたら、怒りながら横浜に来たんですよ。なんか、むりやり呼び出されたみたいな感じで。「いや、来たくなかったらいいのに」って言ったら、そこでさらに怒ってケンカになったんですよ。 ――当初は「今日、機嫌が悪いのかな」と思っていたけど、段々と違和感みたいなものが。 桃戸 こっちがすごく気を使わなきゃいけなくなることが多くなって、「なんか、おかしいな」って。なにかと怒鳴るようになったし、私が出掛けようとしたら「もう帰ってこないんでしょ」みたいなことを言い出したりして。私が高3の頃には、完全にうつモードに入っちゃってました。
看護師だった母が、仕事を辞めて専業主婦になった理由
――お母さんは、ずっと専業主婦を。 桃戸 結婚するまで看護師をやってて、いや、私が生まれるまでかな。いずれにせよ、私が生まれてからはずっと専業主婦でした。 ――お父さんは、ずっと勤め人を。 桃戸 会社員だったんですけど、私が幼稚園か小学校低学年ぐらいのときに退社して、自分の会社を始めて。いまも会社を続けてます。