二十歳のとき、何をしていたか?/あいみょん たった1本の動画が運命を変えた。 西宮からトラックで上京し、 曲を書き続けた夜明け前の上町。
学校の先生がくれたアコギで、 作詞作曲を始めた。
「二十歳の誕生日、全く覚えてないです。早生まれで成人式も19歳でしたし、遅れて二十歳になりました、みたいな感じ。それよりアーティストとしてこれからどうしていくか、考えることが盛りだくさん過ぎて」 【取材メモ】世田谷線が走るのどかな上町駅近辺で撮影。まさかこんなところにあいみょんがいると思わないのだろう、騒ぎになることもなく、風景に溶け込んだシューティングとなった。 2015年3月6日、あいみょんさんは二十歳になった。わずか2日前に「貴方解剖純愛歌 ~死ね~」でインディーズデビュー。人生の一大局面を迎えていたわけで、成人したことを覚えてないのも当然かも。 「18歳の夏に声をかけていただいて、そこから徐々に徐々にっていう感じでした」 デビューまでを辿ると、生まれは甲子園のお膝元、兵庫県の西宮。民謡やロックを好む若い両親のもと、6人きょうだいの上から2番目の次女として育ったという。 「小さい頃、お父さんは楽器が演奏できるバーを経営してたんです。沖縄の家系で、演奏するのは沖縄民謡が多め。両親とも歌がうまくて、しょっちゅうギターや三線を弾いてセッションしてました。『満月の夕』という曲をよく歌うから、てっきりお父さんが作ったと思ってたけど、のちにソウル・フラワー・ユニオンの曲だと知ったり」 さらに、祖母の夢も歌手だったのだそう。 「おばあちゃんは鹿児島の喜界島育ち。兄弟が多くて貧乏で夢を追いかけられず、よく孫の私たちに『誰か歌手になってくれたらなあ』って言ってました。それもあってか、中学生の頃にはうっすら歌手になりたいなって思うようになってましたね」 父親のギターを勝手に使ったら嫌がられ、渡されたのが、象の形をしたフェルナンデスのZO-3。電源さえ繋げばどこでも弾けるアンプ内蔵型のエレキギターだ。でもあいみょんさんが欲しかったのはアコースティックギターだったから、すぐ弾くのをやめてしまった。しかし中2のある日、思いがけずアコギを手にすることに。 「海外から来てた英語の先生が、授業の始まりと終わりにバックストリート・ボーイズを弾き語りしてたんですよ。まじなんなんこの時間と思ってたんですけど、先生が帰国するときに、『持って帰ると送料がかかるからあげるよ』って、使ってたヤマハのアコギをくれたんです。そこから本格的にギターを弾くようになりました」 習いに行きたかったが、父親に「独学でやるもんや」と言われ却下。教則本を渡されたものの、読んで覚えるのが苦手で、コード付きの歌本で練習を始めた。そのうち「作詞作曲をしたほうが覚えられるかもな」と曲を作り始める。さらっと言うけれど、いきなり曲なんて作れるものだろうか。 「弾いてるうちに自然と言葉を付けたくなったんですよね。作文は得意で、読書感想文で褒められた経験もあったから、やってみようかなって。もともと父方のおばあちゃんが保育園の先生で、大きくなるまで誕生日とクリスマスのプレゼントは絵本だったんです。最近は文学っぽいほうが好きですけど、今も絵日記は付けてます」 高校時代にバンドを組んだこともあった。が、みんな大学受験で集まらなくなり解散。それからは一人で弾き語りをし、時々友達に聞かせる程度だったという。そんなある日、他校の高校生が「YouTube番組に出てほしい」とオファーをしてきた。