ご近所の「美人ママ友」と「とびきり可愛い娘」にすさまじい嫉妬を燃やし…幼い娘を定規で叩いて「教育虐待」した母親の深層心理
太ももが腫れあがるまで
私は物心ついたときから、ピアノの前に座らされていた、らしい。らしい、というのは、三歳の頃の記憶があやふやだからだ。ただ物心つくと目の前に、いつも黒と白の鍵盤があった。 「うちの娘は、三歳からピアノを習わせているの」 それは、母の自慢の種だった。そして、いつも私の隣には、ワンピース姿のピアノの先生がいた――。肩まであるウェーブのかかった長い髪は、よく鍵盤の上に垂れかかってきて、甘い石鹸の香りがしたことも覚えている。幸いなことにピアノの先生は、とても優しかった。だから、私はピアノ教室に行くのは好きだった。 しかし家に帰ると、一転した。 居間に置かれたエレクトーン。私は、自宅に帰ってくると母の指示どおり、そこに毎日何時間と座らされた。ピアノ教室で習った曲の復習をするのが日課になっていたからだ。 私の横に座る母は、軍隊の鬼教官のように鍵盤に目を光らせ、右手には長い定規を持っていた。そして一音程でも外すと、「違うでしょ!」と、太ももに定規が容赦なくピシャリと飛んでくる。太ももに感じるひりつく痛み。鈍痛。いつ定規が飛んでくるのか、怖くてしかたなくて、エレクトーンの時間、私はつねにビクビクしていた。 しかし、間違えまいとすればするほど、焦って音程を外してしまう。数え切れないほどに叩かれた私の太ももは、いつしか赤くなり、腫れあがっていた。
「美人なママ友」への羨望と嫉妬
それほどまでに、習い事への母の執着は恐るべきものがあった。 思えば、母はいろいろなものを羨み、そして、憎悪していた。街を歩いていて仲むつまじい若いカップルとすれ違えば、軽蔑した眼差しを送っていたし、自分よりも身なりのいい家族にも、すさまじい嫉妬の感情を燃やしていた。 母は自分の満たされない境遇だけでなく、世の中のすべてを憎んでいたのだ。そんな憎悪こそが、スパルタ教育に拍車をかけたのだと思う。 私の家の目と鼻の先に、誰もが目を引くお金持ちの邸宅があった。その家の奥さんは表面上、母のママ友だった。彼女は立派な家の出身のご令嬢で、しかも美人で気品があった。その娘もとびっきりに可愛かった。私は歳が近いこともあって、よくその娘と遊んでいた。 その子はキリスト教系の私立幼稚園に通い、バイオリンを習っていた。母はうわべは仲よくしていたが、母が彼女に対して羨望と嫉妬を感じていたのは明らかだった。 しかし当然ながら、地方公務員の父の給料では、彼女たちのような高い教育水準を受けさせるのは難しい。それが母にとっては、激しいジレンマだったのだろう。
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