A級戦犯はなぜ太平洋に散骨されたのか 75年前の極秘文書発見 アメリカ軍は「超国家主義」の復活を恐れていた
超国家主義は当時、日本の戦時体制を分析する上でのキーワードだった。政治学者の丸山真男が1946年に発表した著名な論文「超国家主義の論理と心理」は、次のような書き出しで始まる。 「日本国民を永きにわたって隷従的境涯に押しつけ、また世界に対して今次の戦争に駆りたてたところのイデオロギー的要因は連合国によって超国家主義とか極端国家主義とかいう名で漠然と呼ばれている」 米軍は日本での軍国主義の再来も警戒していた。「参謀研究」には「日本の潜在的な戦争能力を破壊する使命がある」などと強い表現が並ぶ。 超国家主義や軍国主義の除去という占領方針に照らし、米軍が戦犯の遺体の扱いを検討した側面も見えてきた。 ▽海洋散骨を主導したキーパーソン 一連の公文書で起草者として頻繁に登場するのがマイケル・リビスト少佐だ。所属する米極東軍の補給部は、物資の後方支援などを担当。リビスト氏は戦没者部門で、日本で戦死した米兵の遺体回収や送還などを主な業務としていた。
リビスト氏は1948年7月21日の参謀長宛ての文書で、超国家主義の復活を防ぎ、戦犯を崇拝対象にしないため、火葬して遺骨を秘密裏に処分するよう求めた。8月6日の文書では「日本人は天皇に命をささげた人々を階級にかかわらず祭る傾向がある」と指摘。指導者のA級戦犯と、捕虜虐待などのBC級戦犯を一律に扱い「処刑された全ての戦犯を火葬し、秘密裏に処分することが望ましい」と提案した。 これを受け、マッカーサー元帥は8月13日、処刑された戦犯を一律に海へ散骨する方針を決定。リビスト氏の提案が米軍の意思決定に直結した経過が明らかになった。リビスト氏が戦犯の散骨方針の青写真を描き、主導的な役割を果たしたのは間違いない。 ▽横浜に一時埋葬されたBC級戦犯の遺体 捕虜虐待などの戦争犯罪で裁かれ、処刑されたBC級戦犯の遺体の行方も「参謀研究」に記録されている。 「横浜市の米軍墓地の敵兵区域に、処刑された戦犯14人の遺体を埋葬している」