イチロー、ダルビッシュも苦言を呈した野球のデジタル化「昔より頭を使わなくてもできる」は本当か。大谷翔平は“ビデオゲーム的な選手”の代表格?
「自分育成ゲーム」。パワプロ的な大谷
日本のメディアはよく、大谷の活躍を「漫画のよう」と表現するが、個人的には「ビデオゲームのよう」のほうがしっくりくる。 「漫画のよう」と言うと、たとえば現実的にはありえない変化をする「魔球」を投げたり、あるいは「トルネード投法」的な飛び道具が出てきそうだが、大谷の場合はそうではない。 大谷は投打ともに極めてオーソドックスな選手だが、単純に、すべての能力がありえないくらいハイレベルなのである。言うなれば人気野球ゲームである実況パワフルプロ野球、通称「パワプロ」でオリジナルの選手を育成するサクセスモードを極めた人が、裏技を使って全能力「A」ランクを持った完璧な選手を作り上げたという感じだ。 まさにビデオゲーム的であり、実際にアメリカのメディアは投打の両方で突出した活躍を見せる大谷の成績を〝video game numbers”(ビデオゲームのような数字)と表現することもある。 ということを考えていたら2024年1月、大谷がそのパワプロの「アンバサダー」に就任したことが発表された。大谷はやはり幼少期にパワプロを楽しんでいたようで、インタビューでこう語っている。 「ある種、自分が選手というか『サクセス』みたいなものだと思う。自分に合った練習をして、休むこともですけど、練習したものが返ってくるという意味では、ゲームも現実も大ざっぱに言えば同じ。そういう感じで、自分自身がパワプロの選手だと思って(練習を)やっていたので、子どものころは単純に楽しかった」 「ゲームのなかの選手を自分で育てることもすごく好きだったので、今は自分の体を使って(パワプロのサクセスと)同じようなことをやっている感じですかね。自分の育成ゲームみたいな感覚というか。趣味みたいなところもありますし、そういう部分は(影響が)あるかなと思います」 「ゲームも現実も大ざっぱに言えば同じ」というセリフを昭和のプロ野球選手が聞いたら腰を抜かしそうだが、まさに「自分育成ゲームみたいな感覚」で飄々と、涼しい顔で野球を楽しんでいるように見えることが大谷のすごさであり、何より時代を体現している。 1970年代に日本の野球文化をアメリカに紹介する『菊とバット』を著したアメリカ人作家のロバート・ホワイティングは、日本において野球というスポーツは「武士道」を体現するものだと書いた。 朝から晩まで続くつらい練習、「型」の習得を重視する姿勢。厳しい上下関係や礼儀作法、そして楽しむことよりも苦しむことに価値を見いだす美意識……。 『菊とバット』には当時まだ現役選手だった王貞治が日本刀をバットに見立てて振り下ろすモノクロ写真が載っている。日本球界のレジェンドは何ともわかりやすいかたちで、野球というスポーツが「武士道」に通ずることを体現していた。