伊那谷楽園紀行(4)プロローグ:居心地のよい地域への逃避
厚生労働省の人口移動調査を見ると、最新の2016年7月の調査では回答者のうち、引越経験があるという人は全体の75.7%。回答者から推測される日本人の平均引越回数は3.04回である。たいていの人は、生まれたのとは違うところで、人生を過ごしていく。 けれども、大きく居所を移動する人というのは意外に少ない。この調査では生まれた都道府県と現在住んでいる都道府県が同じ人は68.6%となっている。さらに、一度生まれた都道府県から別の土地に移った後にUターンした人の割合は20.4%である。 つまり、地方への移住がブームから、ごく当たり前の存在になった現代でも、まったく縁もゆかりもない土地へと移っていく人の数というものは、だいたい10人のうち 2人くらいということになる。 そうした、なんのゆかりもない土地に、新たな縁を結ぼうとするのは、どんな人たちなのだろう。皆、リストラされたり都会に居場所を失った敗残者ばかりなのだろうか。様々な土地で、移住してきたという人に出会うが、そんな落ち武者のような人には、まず出会わない。進学や仕事などがきっかけで、いやいややってきた土地に愛着が芽生えていついた人。あるいは、自分のやりたい計画を実現するために、土地を探してたどり着いた人。 そして、多くの土地では実際に移住した人の外側に、いつかはここに住むのもいいかも……と、ぼんやりと考えている人がいる。本格的な移住者とは違う。いわば、その土地のファンというべき人たち。そんなファンが集まるのは、決して風光明媚な観光地ばかりではない。単なる田舎だというのに、そこになにかの魅力を発見して、ふと思いついては足を運び、土地の人と顔なじみになる。日常から少しだけ離れての旅。見知らぬ土地を訪ねるのではなく、よく見知った土地を訪ね、もう一つの日常を過ごす旅。移住とも違う、そんな地方での過ごし方をライフスタイルに組み込んでいる人は、確かに増えている。 私自身も、これまで何年もの間、都市から離れて「ここではないどこか」を探して、幾度も再訪してしまう地域を持つようになった。なぜ、縁もなかった土地に何度も足を運ぶようになったのか。自分だけではなく、大勢の人がそうしているのは、なぜなのか。 そんな異邦人を迎え入れる街には、なにがあるのだろうか。次回からは、私自身が幾度も訪れている信州の伊那谷を舞台に文章を綴っていくことにしたい。