新聞記者が13年かけて、民間人”立入禁止”の「硫黄島」に上陸した瞬間
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が13刷ベストセラーとなっている。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
搭乗拒否への不安感 遺児のルール違反
9月24日。僕は大きなトランクケースと共に家を出た。集合場所は埼玉県入間市の航空自衛隊入間基地近くにあるビジネスホテルだった。ホテルの1階会議室で団結式が行われた。今回の収集団は総勢37人。高齢者が大半だった。一人ずつ自己紹介した。 そして迎えた本土出発当日の朝。収集団一行はホテルからバスに乗り、午前8時38分に入間基地に到着した。硫黄島に向かう自衛隊輸送機C130はすでにエプロン(駐機場)で待機していた。 滑走路に面した建物には「入間ターミナル」の看板が掲げられていた。一行はその建物に入り、受付のようなカウンターの前で一列に並ばされた。カウンターの向こうにいる自衛官は、運転免許証など顔写真付きの身分証の提示を求め、本人であるかどうか確認した。民間の国内線にはない搭乗手続きだ。僕の順番が回ってきた。僕は、どきどきした。 「勤務先が新聞社ですね。報道関係者は搭乗できません」と言われるのではないか、と思ったが、それは杞憂だった。ひとまず、最初の関門は通過できた。 午前9時42分。大きく口を開いた後方の貨物搬入口からC130に搭乗した。戦争映画などで見たことがある、金属製の骨組みが丸見えの機内。搭乗者の座席はハンモックのような形式で、腰の位置が安定しない。機内に響くプロペラの轟音がすごい。 着席してすぐに、客室乗務員役と思われる男性隊員が、全員降りてください、という仕草をした。声で伝えなかったのは、プロペラの音がひどいためだ。 新聞記者であるとばれたからなのか。僕は再びどきどきした。なぜ降ろされたのかは、機内から外に出てから伝えられた。機体トラブルがあったとのことだった。C130は半世紀以上前から運用されている旧式の輸送機だ。「機体トラブルが離陸前で良かったよ」と安堵する収集団員の声が後ろから聞こえた。 再び搭乗したのは約30分後だった。手荷物は座席の裏か下に置くようにと隊員に指示された。皆がその指示に従う中、戦没者遺児とみられる高齢の女性が一人だけ指示に反して、菊の花束を入れたトートバッグを両足の間に挟むように置いた。花束がバッグごと倒れないように片手で支えていた。きっと亡き父が眠る島に捧げるため、自宅の庭などで育てた花なのだろう。 彼女のルール違反をとがめる人はいなかった。