「大量の長ねぎをみじん切り中に突然の芸能界入り宣言」反対した父を振り切って上京したものまね芸人・山本高広が親の立場になって今思うこと
ものまね芸人として活躍する山本高広さんですが、高校卒業後は調理の専門学校に進み、飲食業の道を歩みます。それが、ホテル厨房で下ごしらえの作業をしていたある日、「俺はこのままでいいのか」とふと頭をよぎったそう。そして、突然──。(全4回中の2回) 【写真】「だいぶ痩せてる」調理師時代の山本高広さん(全16枚)
■包丁を置いて、そのまま上司に辞職願いを ── 今ではものまね芸人や声優として活躍されていますが、小さいころから芸能に憧れがあったのでしょうか? 山本さん:幼少期からものまねは好きで、よく学校の先生や友だちのまねをしていました。地元で選挙活動をしていた政治家・麻生太郎さんのものまねもタスキまで作ってやっていましたね。
高校卒業のときに今後の進路について考えたのですが、大学に行けるような成績ではなく、やりたいこともなく悩んでいました。そのときに父親から「お前は食べるのが好きだから料理の道に進むのはどうか」と言われたんです。それで卒業後は芸能の世界とはまったく関係のない、調理の専門学校に進みました。 ── お父さんは料理関係のお仕事なのですか? 山本さん:全然違います。父の仕事は経営コンサルタントで、ものすごく真面目な人。いわゆる仕事人間で、息子にも安定した職に就いてほしかったのだと思います。父は明治大学を卒業していました。息子にも大学に行ってほしいと思いつつも、進学は難しそう…という理由で、息子が好きそうな食の道を勧めてくれたのではないでしょうか。
私も特にほかにやりたいことがあったわけではないので、言われた通り地元の調理専門学校に進学したのですが、あまり真面目には通っていなかったですね。行くことは行っていましたが、積極的に学ぶ姿勢はなく、授業には集中していなかったと思います。 ── そんな状況のなかで、卒業後はどうされたのですか? 山本さん:地元のホテルのレストランなどで、計2年半ほど働きました。といっても調理をさせてもらえるわけではなく、ずっと見習い。雑用や食材運び、伝票整理など、調理とはほど遠いことばかりしていましたね。