「大量の長ねぎをみじん切り中に突然の芸能界入り宣言」反対した父を振り切って上京したものまね芸人・山本高広が親の立場になって今思うこと
仕事のひとつに、腕に抱えるほど大きな箱に入った長ねぎを、すべてをみじん切りにする日課がありました。ひたすらみじん切りをしていたのですが、ある日その途中でふと「こんなことずっと続けていて、俺はどうするんだろう」という思いが頭に浮かんだんです。このまま料理人としてずっとホテルに勤めるのか、それとも将来的に自分の店を持ちたいのか…。考えた結果、どちらも違うなと思い、包丁を置いてそのまま上司に辞めたいと言いにいきました。
上司からは「辞めてどうするんだ?」と聞かれたので、「芸能人になります」と言ったら、鼻で笑われましたね(笑)。
■堅物な父親の「キター!」に衝撃を受けた日 ── 仕事を急に辞めたことに、ご両親も驚いたのではないですか? 山本さん:両親に何も言わずにホテルを辞めたので、帰り道車を停めて車内で1時間ぐらいどう伝えるか悩んでいました。普段からテレビでよく吹き替え映画を観ていたので、その影響で声優の仕事に憧れるようになりました。
それで東京にある声優の専門学校に行こうと思い、両親に伝えたところ、母は応援してくれたのですが、父はやっぱり反対で…。いずれは諦めて地元に戻ってくるだろうという感じで、送り出してくれました。 ── でも、今ではものまねだけでなく声優のお仕事もされていますよね。 山本さん:今でこそ声優のお仕事もさせていただいていますが、声優の専門学校を卒業した当時は、声の仕事なんてまったくなかったんですよ。学校ではマイクワークや声の表現方法などを習ったのですが、卒業後に学校が声優事務所に紹介してくれる生徒はわずか3~4人。選ばれることはなく、卒業後はどこの事務所にも所属できませんでした。
それで役者になろうと思って劇団を探して1年半くらい頑張ったのですが、人間関係でうまくいかずに辞めてしまい…。仕事もなく、パチンコ屋で半年ほどバイトをしていました。そのときに小さいころにものまね芸人に憧れていたことをふと思い出して、やってみようかなと思ったんです。独学でいろいろと勉強してなんとか形になり、そこから事務所に所属したり、ショーパブに出演できるようになったりして、露出が徐々に増えていきました。