「尊敬してくれ」などとは申しませんが…悪ふざけや無理難題はご勘弁を!【タクシードライバー哀愁の日々】
【タクシードライバー哀愁の日々】#21 「職業に貴賤なし」という。その通りだと思う。だが、家業の倒産を機に50歳を過ぎてやむにやまれずタクシードライバーの道を選ばざるを得なかった身としては、正直なところ胸を張って「タクシードライバーです」とは言えない。もちろん卑しい職業などとは決して思わないが……。実際のところ、専務として家業を手伝っていた頃は何度もお客としてタクシーを利用したが、「大変な仕事だな」と感じたことはあっても「なりたいな」などと思ったことは一度もなかった。 文化的薫りか、人生の縮図か…国内外“タクシードライバー番組”が共感を呼ぶ理由 いまは、タクシー会社の乗務員教育が徹底しており、ドライバーの接客態度も向上しているが、私が30代、40代の頃は、あまりお近づきになりたくないタクシードライバーもずいぶんいた。お客をお客とも思わず、文字通り「無礼」なドライバーも多かったし、下手をすると身の危険を感じてしまうようなドライバーもいた。 そんな時代の名残なのかもしれないが、「雲助」「運ちゃん」の言葉に象徴されるように、タクシードライバーに対して横柄な態度を取ったり、侮蔑的な言葉を吐いたりするお客はいまでもいる。 ある日のこと。街を流していると、手を上げる若い男がいた。同じ年頃の男も一緒だ。私がクルマを止め、ドアを開けた。するとクルマに乗り込むこともなく、なにか言っている。私が戸惑っていると「運ちゃん、いま何時?」と叫んですぐに笑いながら走り去っていった。 乗車する気などサラサラなく、ただの悪ふざけだ。若いといっても間違いなく成人。小学生が他人の家のチャイムを押して一目散に逃げ、出てきた住人がけげんな顔をするのを物陰から見て喜んでいるのと同じレベル。 じつに幼稚な悪ふざけで腹も立たなかった。「そのうち世の中で痛い目に遭うからね」と思ったものだ。だが、こんな悪ふざけもタクシードライバーという職業をナメているからなのだろうとも思った。「パトカー相手に同じことをやってみな」と言いたくなった。 ■酔客の無茶ぶりも… また別の日の夜。「谷根千」と呼ばれる東京の「谷中、根津、千駄木」エリアを流していたときのこと。不忍通りで数人の男性たちが手を上げていた。クルマを止め助手席そして後部席のドアを開けると、助手席に1人、後部席に1人、2人、3人、そして最後は女性が乗り込もうとしてきた。酒席で盛り上がった後のようだ。 「えーと、申しわけありません。どう見ても5人様に見えるのですが……」 相手は酔客。私はあまり刺激しないようにソフトな言葉で言った。すると後部席に乗っていた男性の一人が「運転手さん、固いこと言わない、すぐ近くなんだから」と無理な注文をしてきた。私のタクシーは私を含めて5人乗り。明らかに定員オーバー。私はドアを開けたまま「道路交通法違反で1点減点、反則金も発生する」旨を告げた。 すると、酒の勢いなのだろう。同じ男性が「1人多いなら、おまえが降りろ」とすごんできた。一瞬、不穏な空気が漂ったが、5人目に乗り込もうとしていた女性が助け舟を出してくれた。 「調子に乗って無理なこと言ってごめんなさい。運転手さんにとっては死活問題ですものね」 この女性、見れば驚くほどの美人だったのだが、この言葉に従うように男たち全員がおとなしく降りて行った。もし言われるままにクルマを走らせて、警察官に見つかったら大ごとになっていたし、もしそれで事故でも起こしたら、私は間違いなくクビになっていただろう。 「お客さま、タクシードライバーを尊敬してくれなどとは申しません。ただ、私たちも生きるためにハンドルを握っているのです。そこのところ、よろしく」 私はそうお願いしたい気持ちだった。