自宅で死んでいたかもしれない? 作家・元外務省主任分析官 佐藤優が語る、「死生観」を持つことの必要性
死生観があれば死も怖くない
2023年の6月27日、私は東京女子医科大学病院で腎臓の移植手術を受けました。 手術は無事に成功したのですが、その後たまたま菌血症(悪化すると敗血症になって命にかかわる)になって退院が二日ほど延びました。そして、その期間に腸閉塞になってしまったのです。 入院中でしたので、すぐに開腹手術ができて事なきを得ましたが、もしもあのまま血液が細菌に侵されずに退院していたら、自宅で死んでいたかもしれません。 これは、私にまだやらなければならない使命が残っているという、神からのメッセージだと思いました。 私はキリスト教徒ですので、死生観としてはごく標準的なキリスト教のプロテスタント(カルバン派)の考え方が刷り込まれています。 命は神様から預かったものであり、自分の所有物ではありません。神様から借りている命を勝手に壊してはいけないので、自殺もできません。 今回のように、病気を乗り越えて生き抜けたということは、「何かこの世の中でやらないといけないことがあるから、預かっている命の期間を神が延ばしてくれたのだ」と考えます。 私の場合、それが刷り込まれているから、死ぬことは全く怖くありません。 学生時代は勉強することが使命と思っていました。だから、真面目に勉強しましたし、学生運動もやりました。 外交官のときには、日本の国益を増進するのが自分に与えられた使命だと思いましたし、現在のように作家になってからは自分の経験を世の中に伝えていくことが非常に必要だと思いました。 やはり自分の信念なり使命というのは、ウクライナ戦争のようなことがあっても、戦争を煽るようなものではなくて、平和に向けて動いていくことだと思いました。
生死について考えない現代人
現代人の多くは仕事やそこにまつわる人間関係、あるいは家族、お金の問題など、様々なプレッシャーにさらされています。普段の生活に疲れ過ぎているので、「死」についてゆっくりと向き合う気力が枯渇していると思います。 X(旧ツイッター)で公開され、凄まじい反響を呼んだ麻布競馬場さんの小説『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』に出てくる死生観はニヒリズム的な世界観をもっています。登場人物たちは概ね高学歴で、収入も決して悪くない人たちですが、心の中は孤独と空白と虚無と諦念に彩られています。 この小説がバズったのは、現代を生きる日本人の多くがそういったメンタリティーを抱えているからではないでしょうか。そして、そういった人たちはニヒリズムに身を任せ、生と死について深く考えることから逃げて、刹那的に生きているわけです。 しかし、いつまでもそれでは済まされないでしょう。いざ大病になったときとか、いざ高齢になって、そろそろ死が迫ってきたときに、死と真剣に向き合ったことのない人は大パニックを起こします。 今回、新星出版社より『死の言葉』という書籍を刊行しましたが、本書の目的には、そういった大パニックをみんなが起こさないように、とくに若い人たちへの死の訓練(同時に生の訓練でもありますが)になることも含まれています。