審判に文句「3年間でイエロー45枚、レッド6枚」31歳ブライトン新監督“やんちゃな選手時代”も…三笘薫27歳が証言する素顔「普段からよく話しますよ」
審判に文句「3年でイエロー45枚、レッド6枚」
ヒュルツェラー監督は、元選手である。ドイツの名門バイエルン・ミュンヘンの下部組織に入団したのは11歳のときだ。 20歳まで在籍したバイエルンではトップチーム出場は叶わず、セカンドチームでプレーを続けた。ドイツの名門で叩き込まれたのは「勝利至上主義」。本人によると、ピッチを離れたら物静かな青年だったが、戦いの場になると、その振る舞いは常軌を逸していたと言う。 「12~16歳であっても、常に勝つことがすべてだった。それがバイエルンのDNAに深く刻まれているから。だが、かつて私が対戦した選手たちからすれば、クソ野郎だったに違いない。試合に勝つことだけを考えていた。審判が間違った判定を下そうものなら、彼らに激しく詰め寄った」 しかし、セントラルMFとしてプレーしていたヒュルツェラーは、選手として大成しなかった。バイエルン退団後はホッフェンハイムやTSV1860ミュンヘンのセカンドチームを渡り歩いたものの、「足が速いわけでもなく、点を取れるわけでもない。何かが足りなかった」(ヒュルツェラー)。 そして、23歳でドイツ5部リーグのFCピピンスリートの選手兼監督に就任。この時点で、選手としては事実上引退したが、キャリア終盤の3シーズンで、警告45枚、レッドカード6枚という驚異的な記録を残している。当時は絵画販売のアルバイトもこなし、苦労も多かったようだ。
「恋人と別れることも、遅刻することも…」
転機になったのは、20年に当時ドイツ2部だったFCザンクトパウリの分析コーチに就任したこと。そこでの手腕が高く評価され、22年12月に監督に昇格した。弱冠29歳のことだ。 ここからヒュルツェラーは、一気に上り詰める。2部の降格圏付近にいたクラブを、わずか1年半で2部優勝まで引き上げた。そんな青年監督に目をつけたのがブライトン。今年6月、ロベルト・デゼルビ監督の後任として引き抜いたのである。 ブライトンの指揮官に就任してから、まだ日はあまり経っていないが、シーズンが進むにつれ選手との絆は深まっているという。三笘を含めた選手との接し方について、ヒュルツェラーは次のように明かす。 「私は、今の現役選手たちと同世代。時に、人生で似たような問題を抱えることがある。恋人と別れることもあるだろうし、あれこれ段取りを間違えて遅刻するときだってある。そういうときは、互いに理解し合える。ユーモアのセンスだって似ているはずさ」 大事にしているのは、選手たちを理解するよう努めること。若さゆえの強みを最大限に生かしていると言えるが、教え子たちとは決して“馴れ合い”にならない。一緒には飲みに行かず、その関係にきっちり線を引いているという。選手にとって非情な決断を下すのも、監督の大事な務めである。一定の距離を保つことの必要性を、ヒュルツェラーが一番理解しているのだろう。
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