《ブラジル記者コラム》 マンガは「悪魔の書」か?!=Jpopアニメ禁止のキリスト教会も
丁寧に説明する必要がある鬼や悪魔
2020年10月6日付毎日小学生新聞にある「妖怪と神と鬼の違いはなんですか」(5)という質問に対して、妖怪研究を長年してきた小松和彦さん(国際日本文化研究センター元所長)は、昔の人たちが「あらゆるものに魂が宿っている」と考えており、魂は生まれたり死んだりするもので、魂が物質から抜けると人間が死んだり植物が枯れたりすると説明する。 いわく「この魂が神になったり、妖怪や鬼になったりするのです》《どんな魂も、鬼にも神にもなる可能性を持っています。神が大事にされなくなり、怒って人間に災いを及ぼすと、妖怪になります。妖怪がまつられると、神になります。昔の人は魂の状態は人間との関係によって変化すると考えたのです》と解説している。 あらゆるものは神が宿るアニミズムが日本文化の基本にあり、それがマンガやアニメにも反映されている。キリスト教は一神教で、この部分が根本的に異なる。 とくに「鬼」という言葉の翻訳は難しい。日本文化において鬼は必ずしも悪役ではない。昔話に出てくる赤鬼、青鬼のように愛される存在も多いが、ポ語Wikiでは《Oni (鬼?) são criaturas da mitologia japonesa. O termo Oni é equivalente ao termo "demônio" ou "ogro", porque tais podem descrever uma variedade grande das entidades(鬼は日本神話に登場する生き物である。鬼は「demônio」や「ogro」(ヨーロッパの民話に登場する神話上の生き物)と同じ意味で、様々な存在を表すことができるからだ)》と書かれている。
つまり、単純に「demônio」(悪魔)にされている。ポ語Wiki「diabo(悪魔)」項(6)にはこう説明されている。 中世のヨーロッパにおいて《崩壊したローマ帝国の境界内に住んでいた様々な民族に対する新たな権力と支配の手段としてキリスト教が機能できるようにするには、極めて多様で紛争の多い世界に対して共通の文化基盤を提供する必要があり、異教の信仰を悪魔化する必要があった》とある。 日本語「悪霊」項(7)で見てみると、キリスト教福音派においては《ノンクリスチャンがすべて悪魔の支配下にあり、宣教の働きは彼らを悪魔の支配下から神の支配下に移すことであると定義する。特に保守的福音派では悪霊の働きへの警戒と個々人の罪の自覚化が重視され、悪霊払い(exorcism)と罪の告白(confession)が霊体験の癒しの上で重視される》と書かれている。 つまり「悪魔」は神に敵対する絶対悪的な存在として認識されている。