「自己中心的」な子どもに共通する親の子育て…アドラーが説く「甘やかされた子」「憎まれた子」に欠ける共同体感覚
■ 体罰はしてはいけない あらゆる体罰に対して、私は反対の立場をとることを知っていただきたい。 私は、相手に変化を促すときも、その子の児童期初期の状況を知ろうとし、「説明」や「説得」を用いる。私とは逆のやり方、つまり子どもを叩いたりして、どんないい結果が得られるというのか。 この子が学校で失敗したからといって、それが彼を叩く正当な理由にはけっしてならない。この子が文字を読めなかったのは適切な教育を受けてこなかったからであり、彼を叩いたとしても教育効果は望めない。この子が「失敗したら叩かれる」と学ぶだけで、不快な状況から逃げるために、学校をズル休みするといったような学習しか生まれない。 「叩く」という状況を、子どもの視点から見てみるといい。そうすれば、これは「つらい、苦しい」という感情を増やすだけだということがわかるだろう。 『アドラーのケース・セミナー』 ■ 罰や説教は子どもにとってよくない 子どものライフスタイル形成を考えたときに、重要なことを指摘しておきたい。 「罰を与える」「叱る」「説教する」という方法は、子どもにとっていい影響はないということだ。 「どこを変える必要があるのか」という点を、子どもはもちろん大人もわかっていないなら、いくら叱っても何も成果はない。 「なぜ叱られたのか」「どこを変えるべきか」などを理解できない子どもは、ずる賢くなり、臆病になるだけだ。その子のライフスタイルの原型は、罰や叱ることでは変えられない。 その子の中では、すでに、「ものごとの意味づけ」「どのように受け取るか」といった認識のクセ・方法ができ上がっていて、そのクセ・方法を通して、「罰を受けた」「叱られた」という経験を受け止めるからだ。 まずは、原型、根底にあるライフスタイルを理解しないと、何も変えることはできない。 『生きるために大切なこと』 →もっと読みたいアドラーの言葉
アルフレッド・アドラー/岩井 俊憲