コロナはにくんでも、豚まんはにくまんで下さいーー支援物資にもなった町中華の名物、誕生の軌跡
林さんは通行止めの高速道路を迂回し、未明に華正樓に到着。40個の豚まんを受け取ると取って返し、始業前の医療スタッフに届けた。 台風19号以来康平さんは、1万個を超える豚まんを作ってきた。店頭販売が中心だが、フェイスブックなどを通じて通信販売も受けつけ、いまでは注文が月に1000個を超える。
相棒はミャンマー人従業員
「災害が起きたとき、被災地にたくさんの豚まんを届ければ、困った人の助けになるはず」 そう康平さんは考えたが、厨房で作れる豚まんは一日に200個が限界。そこで豚まん専門の製造工場の設立を思い立った。 「工場と言うと大げさですが、厨房と別に作業場を用意すれば、一日に300個以上、高品質の豚まんを安定して製造できるはず」(康平さん) その足がかりとするクラウドファンディングでは、目標を超える支援額を獲得。その資金をもとに今年6月には、豚まん工場と通信販売サイトも用意する予定だ。
躍進しようとする華正樓を支える頼もしい相棒も育った。ミャンマー出身のウインさんだ。 2014年に来日したウインさんは、学校に通いながら2016年から華正樓で働き始めた。卒業後もここで働きたいと、2019年には難関の特定技能ビザを見事取得。正社員となった。
政情が不安定な母国に妻を残しているが、いずれは帰国して料理店を開く夢がある。 「ウインさんは一生懸命で、情に厚い心根が日本人に似ている。豚まん作りにも慣れてきた。規模は大きくなっても手作りにこだわりたいので、彼の上達に豚まん工場の成功がかかっています」(康平さん)
ウインさんの大好物は、康平さんが山野辺シェフから伝授された陳麻婆豆腐。その調理法も習得した。 「帰国までに中華料理をしっかり伝えたい。ミシュランシェフの江戸中華が、いわき経由でミャンマーのみなさんを喜ばせる。そんな日が来ると面白いですよね」 そう康平さんはウインさんに期待する。華正樓の技は世界に広がっていくのだ。