最高裁に潜む「感情が全くない”怪物”」…他者を見下し躊躇なく切って捨てるトップエリートたちの「実態」
感情というものがないタイプ
D類型 分類不能型あるいは「怪物」? 10% あまりに特異で、前記のどの類型にも収まらない人々である。3人が挙げられる。 たとえば、その人の執務室は常にしんと静まりかえっていて物音一つせず、事務総局の課長時代には、赴任してきた元気のいい裁判所書記官が程なく連日微熱が引かない半病人状態になり、ほうほうの体で地裁に逃げ帰っていったという、そんな逸話がいくつもある人物。私もこの方と話したことがあるのだが、感情というものがほんのかけらほども感じられなかった。 また、事務総局の課長時代には、判事補たちを前にした公の席で、特別な理由もなく、「やめたい人はいつでもやめてもらってかまわない。やめたいという人を所長が慰留する必要など全くない」といった言葉を吐き、倒れていった裁判官のことなどもことさらに冷ややかに語って、居並ぶ若者たちの心胆を寒からしめるとともに反発をも買い(裁判官に関する憲法上の身分保障との関係もあるため、裁判官が公の席上でこうした発言をすることは、さすがに珍しい)、局長時代にも、いくらか先輩に当たる裁判官に対して、通常局長たちがとるような慇懃無礼な態度ではなく、あたかも明らかに目下の者に対するような態度と口調で命令していた、そのような、事務総局系エリートの典型と目されていた人物が、最高裁判事に就任するや一転して民主派となり、いくつもの立派な意見を物したという例もある。 転向や考え方の変化は誰にでもありうる。また、そのことに自覚的でありさえすれば、必ずしも責められるべきことではない。しかし、この人の場合には、その変化が、あまりにも極端なものに感じられたことは否めない。 軍閥の領袖が民主制の大統領になり、強制収容所の所長が平和主義者になる、たとえばそうした極端な変化は、常人には無理である。一人の人物がそういう二面性を自分の内に抱え込もうとすれば、人格が崩壊してしまうであろう。対照的な二面性を内に抱えつつそれに堪えうるところが、怪物たるゆえんである。