「支給される下着の30~35%が中古の下着」「常に満員」児童養護施設の厳しい状況…新たな挑戦で状況は変わるか
そうした状況を目の当たりにしてきた藤堂さんは、飯田さんに「子どもの当たり前の暮らしを実現するために力を貸してほしい」と相談。飯田さんも、以前から子どもの福祉について問題意識を抱いていて、藤堂さんの話を聞き、「普通の暮らしとほど遠い環境を何とかしなければいけない」と強く感じたという。 両者の思いが一致し、藤堂さんは公務員を辞めて「福祉楽団」に転職し、新しい道を拓くことにした。そして2021年、千葉県が出した「民間児童養護施設の整備事業者の公募」に手を挙げ、実籾パークサイドハウスの実現に向けて動き出した。
■地域に開かれた社会的養護を行う施設に もともと農業を学んでいた飯田さんは大学3年生の時、母親が社会福祉法人の設立の準備をしている最中に急逝し、引き継いだ。新たに福祉を学び直し、2001年に「福祉楽団」を設立した。 「楽団」というユニークなネーミングは、周囲と協調しながら自分の音楽を奏で、全体としてハーモニーをなすオーケストラのありようが、民主的な社会における福祉に通ずるところがあることに由来する。
その後、2012年には、障害のある人や、少年院からの出院者の就労支援を行う「恋する豚研究所」を千葉県香取市に開いた。生肉の卸売をはじめ、ハムやソーセージなどの製造を手がけ、食堂も運営している。 そんな飯田さんは、実籾パークサイドハウスを「地域に開かれた社会的養護を行っていく複合施設」と位置付ける。 施設の全体像を描いたスケッチを見せてもらった。大きな建物ではなく、いくつかの小さな建物が点在し、間を道がつないでいて、周囲に向かって開かれている。
多くの施設では50人、100人の子どもがともに暮らしているが、ここではより“普通の家”での暮らしができるように、6人が1つの家に住むことを想定し、全員に個室がある造りに。児童養護施設が36人、一時保護所が6人、子どものショートステイが6人の定員としている。 また、同じ敷地内に、高齢者のグループホームや障害のある子どもの放課後デイサービスの施設、誰でも使えるバスケットコートなどを設え、外部の人も内部の人も、幅広い年齢層が行き交う場にしたい考えだ。