“看板の下敷きに”車椅子になったアイドルの今。事故から6年、自分を「唯一無二」と思えるようになるまで
人生は、「いつ何が起こるかわからない」と頭では理解していながらも、「明日も同じように続く人生」が、とても貴重であることを忘れて……。しかし、突然の事故によって当たり前の日々が急変することも。 2018年4月、アイドルグループ『仮面女子』のメンバー猪狩ともかさん(32歳)は、都内を歩いている際に強風によって倒れて来た看板の下敷きになり緊急搬送。この事故で脊髄を損傷し、両足に麻痺が残ることになった。 ⇒【写真】リハビリ中の猪狩さん それから6年。現在も仮面女子の一員として車椅子でステージに上がる彼女に当時の想い、そして時間が経って変化した考え方を語ってもらった。
数ヶ月で「動くようになる」と思っていたが…
――事故後にすぐ、歩けなくなるということはわかっていたんですか? 猪狩ともか(以下、猪狩):大きな事故に遭ってしまったという自覚はありました。でも、手術翌日に、医師からの説明で「脊髄を損傷していて、今は足が麻痺している。個人差はあるが、感覚が戻る方もいるので、リハビリを頑張りましょう」と言われました。 私はその時まで、脊髄損傷という言葉も、それがどんな症状になるのかも知らなかったので、数ヶ月のリハビリで動くようになるイメージを持っていたんです。 ――そこから、この先も動かなくなる事実はどのように知ったのですか? 猪狩:不安なので、やっぱり携帯電話で調べるじゃないですか。「脊髄損傷 治る」とかで検索してヒットしたもの、いろんな方の経験談に目を通しているうちに、「一生車椅子かも」と気づきました。
「アイドル活動は続けていけないのかな」と…
――ご両親は、治らないことは先に聞かされていたのですか? 猪狩:わかりませんが、父が救急救命士をやっていたので、私のレントゲン写真を見て悟ったようです。 ――変わらず続くはずの明日が、突然立ち消える状況は、計り知れない絶望や不安があったと思います。最初に考えたことは? 猪狩:もうグループもクビになってしまって、アイドル活動は続けていけないのかなと思いました。 ――動かない足ではアイドルを続けていけないと感じたということでしょうか? 猪狩:というより、私がどんなに「できる」と言ったとしても、グループや事務所、ファンの皆さんに必要としてもらえないんじゃないかという思いが強かったですね。