地道に約3億円を貯めた団塊世代夫婦、快適なリタイア生活の秘訣をアドバイス(海外)
貯蓄はしていたが、失敗もした
リチャード曰く、「理想に近い」育ち方をしたことで、資産と勤労の価値を学んだ。10代の頃は、新聞配達、食品売り場の商品補充係、アイスクリーム売り、ルートビア・スタンドのキャッシャーとして働いた。高校時代は週に約5.25ドル(当時)、今の価値で53ドル(約7950円)を稼いでいた。 「稼いだお金で欲しい服を自分で買うことができたし、兄弟や両親にクリスマス・プレゼントを買えたので、お金の価値を実感した」とリチャードは言う。 また、生活必需品の価格が今よりも手頃だった時代に育ったことも大きいと語る。なにしろ、イリノイ州の小さな中産階級の故郷では、1人の収入で家族を養うことができた。イリノイ大学に通いながら(1学期の学費は当時、わずか173ドル[約2万5950円])働き、倹約生活を送った。心理学の学位を取って卒業してすぐに学生ローンを返済した。 空軍で任務に就いている6年間に、サクラメントにささやかな家を購入した。妻と共に庭で食料を育て、いちからグラノーラを作った。家の値段が倍になった時、その家を売った。 「自分の資産目標について考えたのは、ずっと後になってからだ」とリチャードは振り返る。「ある日曜日に、家に帰ってふと思ったんだ。中産階級の暮らしなど送りたくない、できるならもっと良い暮らしをしたい、と」 大学院で助手として働いており、証券会社に勤める友人の勧めで投資を始め、マンションを買った。両親が金融に疎かったので、決して多額の借金を抱えることはないとわかっていたけれども、「規律正しく貯蓄や投資をしていなかった」 必ずしも適切な投資方法を身に着けていたわけでもないという。普通の貯蓄者が分散投資を簡単に行える上場投資信託(ETF)など、今では一般的な一部の投資商品はまだ世に登場しておらず、仕手株やリスクの高い商品に過度に投資をしてしまった。そこで、個人退職勘定(IRA)を構築し、既存のローンを返済しながら、できるだけ多く貯蓄と投資に回すことに決めた。 リチャードのキャリアはかなり安定していたが、解雇の憂き目に2度合い、2000年にITバブルがはじけた時に数千ドル(数十万円)の損失を被った。 「生涯ずっと、規律正しい賢明な投資家だったわけではないが、いつでも倹約な生活を送ってきた」とリチャードは言う。「不動産を購入し、機会がある時は常に投資を怠らなかった。経歴は大したことはないが、こうした『欠点』があっても、資産を形成することはできる」