教室から広がるインクルーシブ社会。パラリンピック教材開発者の一人、マセソン美季さんの想い
海外から見たからこそ分かった、日本のぎこちなさ
――マセソンさんが開発に携わった日本版についても教えてください。これは国際版を翻訳したものなのでしょうか? マセソン:当初は国際版をそのまま翻訳する予定でしたが、国際版を日本の学校の先生や教育委員など教育のプロの人たちに見てもらったところ、日本の教材のように教える内容やガイドがあまり細かく示されていなかったので、日本の先生には使いづらいだろうとご指摘をいただきました。 そこで国際版をベースにしつつも、日本版には、授業の際の声掛け例を入れたり、補足の情報を丁寧に説明したり、忙しい先生たちが授業の準備に時間を割かなくて済むよう、先生用の指導案や、子どもたちが使うワークシートといった全てをパッケージにして届けるなど、工夫をしながら開発しました。 またサンプルの段階から現場の先生たちにヒアリングを行い、使いやすさにとことんこだわったのも、日本版の特徴だと思います。 ――マセソンさんは、中心メンバーとして『I’mPOSSIBLE』の開発に携わり、現在も普及に向けて積極的に動いていらっしゃいます。それはなぜでしょうか? マセソン:私がさまざまな国に行って感じた、ある気づきがきっかけでした。障害がある人に初めて会ったときの子どもの反応は、だいたいどこの国でも一緒なんです。ちょっと遠巻きに見たり、指をさしてみたり。 ただ、大人の反応には国によって大きな差があります。アメリカやヨーロッパだとインクルーシブなマインドを持って、どんな人でも特別視せずに受け入れる「心のバリアフリー」があると感じました。日本の方は奥ゆかしさ故か、「自分が障害のある方に何かをしてしまって失礼にならないか」「私は専門家じゃないから」とか、「余計なことをしない方がいいか」といった、ちょっとしたぎこちなさのようなものを感じます。 その差はどこから生まれるのかを考えたときに、教育のあり方や、小さな頃から障害のある人と関わった経験があるかどうかが大きく影響しているのではないかと思いました。 ――確かに日本では、障害のある人とない人が一緒に過ごす場所が少ないように思います。 マセソン:そうなんです。日本はいまでこそインクルーシブ教育が推し進められていますが、障害がある人は特別支援学級、ない人は通常学級とずっと分けられてきました。そんな状態から社会に出て、急にインクルーシブな社会を実現しようと言われても難しいですよね。社会は多様な人で構成されているのに、学校が社会の縮図になっていない。これが問題ではないかと思うようになりました。 そんなことを考えていた時『I’mPOSSIBLE』に出合い、「まさにこれだ!」と思いました。教育を通して多様な人と共に活動することについて学び、考えることができますし、私自身がずっとスポーツに携わってきたので、「スポーツと教育によって社会を変える」ということが、私のテーマになっていったんです。 社会を変えるのにはすごく時間がかかりますし、少しずつ広めていくために、歩みを止めずにずっと継続して活動をしてきました。多様な人がいることを知らないがゆえに生まれるぎこちなさを、教育の力で溶かしていきたいという思いを胸に活動しています。 ――『I’mPOSSIBLE』の活用も含め、共生社会の実現に向けた教育が行われる際に、私たちが大切にするべきことはなんでしょう? マセソン:日本でも障害のある人について学ぶような授業が取り入れられ始めていますが、障害や特性のある人にどう接するのが正しいか、マナーを学ぶような視点になっていることが多いと感じます。障害がある人は常に困っていて、助けが必要という偏ったすり込みにつながることもあります。 障害の有無で分けずに、「みんな」が居心地よく暮らすために何ができるかを考えるという視点があると、本当の意味での共生社会につながるのではないかと思うんです。 また、共生社会や障害について子どもに学ばせることはまだ難しいと、大人が制限してしまうのももったいないことだと思います。日本だと『I’mPOSSIBLE』は小学校5、6年生向けの教材として使われることが多いですが、全学年で活用し、それぞれの発達状況に合わせて学びを深める取り組みも増やしていきたいです。 固定観念がなく、感性が豊かで自由な発想できる子どものうちにさまざまな違いに触れるというのが、その子にとっても、社会にとってもプラスになると考えています。