ストリッパーとオリガルヒの御曹司の笑えて泣けるラブストーリー「アノーラ」が描き出すアメリカの断層
■ アノーラを演じきったマイキー・マディソンの魅力 ブリトニー・スピアーズがラスベガスで酔った勢いで幼なじみと結婚し、55時間後に別れたという話は、当時から20年経った今でもベイカーの記憶に残っていたらしく、富と若さを暴走させた二人は、ラスベガスで婚姻届けを出すことになる。 ところが、我が子が相応しくない女性と結婚したことに激怒した両親が、二人を離婚させるためにアメリカに向かっていることを聞いたイヴァンは、突如、虚ろな目になって失踪。アノーラは豪邸にひとり残され孤立無援の状態になるも「自分はイヴァンと別れる気はない(イヴァンもないはず)」と離婚を受け入れない。 当初はアノーラと、イヴァンのお目付係たちとの対立だったものが、最終的にはロシアから駆け付けたイヴァンの両親が、イヴァンを上回る「ディール」でアノーラを説得する展開となる物語後半は、二人の関係を清算しようとする人々に対して、挑発や説得、皮肉だけでなく時には甘えた口調を織り交ぜる言語的な多彩さに加え、屈強な男たちと取っ組み合いを演じる肉体的な強さを見せるマディソンが圧巻だ(マディソンはほとんどの格闘シーンをスタントなしで演じたという)。 当然、この役を演じるに当たってのマディソンの準備も周到だ。 クエンティン・タランティーノ監督による「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でマンソン・ファミリーの一員を演じたマディソンの演技に一目惚れしたベイカーが、マディソンの出演承諾を得た後に脚本執筆をしたという本作は、脚本段階からマディソンの意見が取り入れられた。 マディソンは、エスコートガール兼ダンサーだった経歴を持ち、現在は作家として活動するカナダ人のアンドレア・ウェアハンをコンサルタントに幾度もミーティングをおこない、キャラクターの細部まで入念にリサーチをしたという。
■ 笑えて泣けるピュア・エンターテインメント それに加え、撮影の数週間前から撮影地となるブライトン・ビーチに住んで、地元の人たちやストリッパーたちと交流を持ちながら、ロシア訛りでニューヨーク的な直接的で早い英語を習得するように努めたというマディソンや制作陣の準備の入念さには敬服するしかない。 物静かに、少し照れながら、理知的に演技について話すマディソンのインタビュー映像を見ると、演者本人とアノーラとの乖離の大きさに驚くばかりだが、女性の権利を声高に言うわけでもなく、ただ自分の人生を自分の生きたいように力強く進む、現代的なひとりの女性を映画に出現させるため、この映画には膨大な準備とアイディアが詰め込まれている。 そのことを念頭に置いてみると、この笑えて泣けるピュア・エンターテインメントを一層楽しむことができるだろう。 ※日本では2025年2月28日公開 元吉烈(もとよし・れつ) 映像作家・フォトグラファー 米ニューヨークを拠点に主にドキュメンタリー分野の映像を制作。監督・脚本をした短編劇映画は欧米の映画祭で上映されたほか、大阪・飛田新地にある元遊廓の廃屋を撮影した写真集『ある遊郭の記憶』を上梓。物価高騰のなか$20以下で美味しく食べられる店を探すのが最近の趣味で、映画館のポップコーンはリーガル・シネマ派。。
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