ストリッパーとオリガルヒの御曹司の笑えて泣けるラブストーリー「アノーラ」が描き出すアメリカの断層
■ アノーラとイヴァンの「ディール」 ある日、勤務する店のマネージャーが「ロシア語のできるホステスを探している客がいるから、そのテーブルに付いてほしい」と告げることからアノーラの人生は急展開する。自身のロシア語は流暢ではないという理由で気の進まないアノーラだったが、指定された席に着いてみると、そこにいたのは金回りの良さそうな若いイケメンだった。 年齢も近く(それ以前に店内で話していた男性客はオッサンばかり)、一気に親しくなったアノーラは後日、イヴァンの家族が保有するブライトン・ビーチの豪邸へ「お仕事」に赴く。そこで圧倒的な財力を目撃したアノーラはイヴァンと急接近。2回目にそのプール付き豪邸を訪ねた際、アノーラはイヴァンから1週間の専属となることを求められる。 アノーラがその対価として求めたのは現金一括での1万5000ドル(約230万円)。この価格設定が相場として適切なのかは知る由もないが、イヴァンは「あり得ない」というような仕草をして戯けつつ、即座に右手を差し出し「ディール」と告げる。 嬉しそうに「ディール、ディール」と言う男と言えば、先月のアメリカ大統領選に圧勝した男のことが当然思い出されるのだが、イヴァンの言う「ディール」には、約130年ぶりに敗戦後に大統領としてカムバックを果たす第47代アメリカ大統領にある自己愛のようなものは一切感じられない。 天真爛漫さを絵に描いたようなイヴァンは、1万5000ドルで手に入れたアノーラとの1週間に大した興味もなさそうで、すぐにテレビゲームに講じ始めるし、セックスも初心者レベルの下手さで、呆れたアノーラが手解きをするほどだ。
■ アノーラのシンデレラ・ストーリー 親の巨万の富にフリーライドして、ゲーム、パーティ、マリファナと、どこまでも自分勝手に振る舞うイヴァンだが、このキャラクターを演じるマーク・エイデルシュテンのキラキラとした少年のような瞳と野生動物のような挙動、チャラチャラとしながらも人懐こい感じがどうにも憎めず、ああ、富による自由とはこういうことを言うのか、金があるから悪い奴というのは貧乏人の嫉み(というか一縷の望み)に違いない、という妙な納得感のあるキャラクター造形で見るものを楽しませる。 イヴァンが、どこまでアノーラを愛していたかはわからない。というのも、イヴァンは厳格な両親から逃れるためにアメリカ国籍を欲しているからだ。 筆者は10年以上、アメリカで暮らしているが、永住権ビザ取得のために結婚したと明け透けに言う人や、結婚時の面接で偽装がバレて結婚できなかった話、さすがにアノーラとイヴァンのように4カラットのダイヤモンド・リングで結婚のディールをしたという話は聞いたことがないが、数千ドルでディールしたという話は身近な人から聞いたこともある。 金銭だけでなく国籍や美貌、あらゆる価値が「ディール」の原資になる世界では、今の恋愛感情が金銭のためのものでないと信じることは簡単ではないし、アノーラとイヴァンの関係でもそれは免れ得ない。その点で、本作ではこの圧倒的な「階級」が次から次へと表情を変えて現れ、二人の関係を二転三転とさせていく。 映画批評家のデニス・リムが述べるように、アメリカ映画が「階級」を扱うことはあまり多くはない。本作の物語の中心がどれだけハイテンションなラブストーリーだとしても、その前提となる2人の格差=シンデレラ・ストーリーを描いたからこそ、本作がコメディ映画であると同時に時代のリアリティを捉えた現代映画にもなり得たのだ。