芥川賞作家・金原ひとみが問う「君たちはどう生きるか」。自由に生きられない日本人へ
「自分が感じるままならさ」と社会問題
── ご自身も2人の子どもの子育てをされています。『ナチュラルボーンチキン』では、日本で子どもを生み育てることの過酷さについても書かれていました。 積極的に社会問題に言及しようとしているわけではないのですが、自分が生きづらさを感じたり、ままならなさを感じたりしているときに、個人的なものだけではなく、社会と連動した問題なのではと思い至ることがよくあります。 それは小説を書いていくなかで、少しずつ自覚していったところでもあります。 小説『マザーズ』を書いたときは、自分自身が子育てする段階になって初めて、日本社会における母性幻想や、自分を苦しめるものが、自分の中にも根付いてしまっていると気が付きました。 自分が耐えられない、と思ったことを書いていくと、深層で繋がっているということが、書きながら見えてきたり、書き上げた後に改めて気づいたりすることが、これまでも多かったです。 子供を産んだら一千万もらえますくらいがちょうど良いのではないだろうか。さらに五歳、十歳、十八歳の三回くらいここまでお疲れ様金として一千万ずつ給付、つまり成人まで育てたら一人につき四千万。それくらいしなければ子供なんか持とうと思えないのがまともな感覚ではないだろうか。現在国が行っている所得制限付きの児童手当だったり出産育児一時金などの少子化対策なんて、おはじきを弾いて間に小指を通すみたいな無為なお遊びにしか感じられない。 『ナチュラルボーンチキン』
子を持つことは難しい……でも「当然という視線」
── 主人公の浜野さんは、子どもが嫌いだと自認する一方で、過去には過酷な不妊治療を経験しています。日本では子どもを持つことが当然だというプレッシャーは、未だに少なくないと感じます。 今の日本社会のなかで子供を生む意味や、それによる影響を考えると、本能や好奇心によって子どもを作り子育てすることはすごく難しい。にも関わらず、周囲からは子供を持って当然という視線もある。 そのなかで、壊れていく自分自身を、主人公の浜野さんが行ったり来たりする。結局最後には「諦める」という決断をしますが、その揺らぎから導かれた決断を書きたかった。 揺れて、揺れて、何が欲しいのかもわからない、でも焦燥だけがある。そんな、ぐっちゃぐちゃになったなかで、全てを諦めてルーティーンだけに自分を当てはめて生きていくという選択は、女性としては大きな決断で、必然性のある状況に自分を持っていったんだろうなと思えます。