サブカル文脈から読み解く2010年代以降のアイドルシーン、BiSとBiSHの快進撃
2010年代を象徴する代表曲
nerve / BiS 田家:今日の1曲目、2011年3月発売、BiSの「nerve」。デビュー・アルバム『Brand-new idol Society』の中の曲。 西澤:この曲は当初、こんなに代表曲になるとは思ってなかった楽曲なんですけど、2010年代のアイドルソングの中の代表曲になるぐらいアイドルシーンでは有名な曲で。サビでみんな海老反りをする振り付けがあるんですけど、元をたどると、先週放送したももクロの「行くぜ! 怪盗少女」という曲のサビのオマージュなんです。 田家:真似ているわけだ(笑)。 西澤:BiSというグループ名が、Brand-new idol Societyの略で。新生アイドル研究会という名前の英語訳なんです。 田家:そうか、新しいアイドル社会じゃなくて、新生アイドル研究会。 西澤:先程言ったみたいに誰もアイドルのことを知らないから、みんなで勉強をしてアイドルを作っていこうということで、メンバーたちもいろいろなアイドルのミュージック・ビデオを見てこれいいねとかっていう感じで(笑)。 田家:はははは! ももクロのこれいいよねって(笑)。 西澤:取り入れていったら、この曲が2010年代を象徴する代表曲になったという。 田家:そういうももクロとのつながりがあった。でも違いもあるわけでしょう? 西澤:そこは、やっぱり楽曲ですね。この後聴いていただく曲もそうなんですけど、ロックをメインに取り入れているというところ。しかも海外のパンク・ロックとかを取り入れているというところは一番違う。研究員と言われるファンと、文化祭みたいな感じで全員で一緒になって盛り上げていこうという部分も、かなり違った部分かなと思いますね。 死にたい夜にかぎって / アイナ・ジ・エンド 田家:今流れているのは2021年に出たアイナ・ジ・エンドの「死にたい夜にかぎって」。彼女のソロ・デビュー・アルバム『THE END』の中の曲なのですが、アイドルのことはよく知らないんだけど、アイナ・ジ・エンドちょっと気になるのよねっていう方が、わりと最近いらっしゃるのではないかと思います。アイナ・ジ・エンドは元BiSHのメンバーでありました。今話しているのはBiSHではなくて、BiSですね。 西澤:BiSHの大元のグループになりますね。 田家:Brand-new idol Society。結成が2010年。始まりがさっきおっしゃったプロデューサーを困らせようとして、アイドルやってみようかって言ったところから始まっている。 西澤:そしたら本当に始まっちゃったという。プー・ルイさんはもともとモーニング娘。などが好きで、アイドルグループへの憧れはあったみたいなんですね。 田家:渡辺さんという方はどんな方だったんですか? 西澤:渡辺さんは、もともと海外のロック、ニルヴァーナだとかセックス・ピストルズとかが好きな方で。自分でもアーティストを手掛けたいということでオーディションをして見つけたのがプー・ルイという女の子だったんです。どうやってここからやっていこうかというときに、プロモーションの相談でOTOTOYに来たら、まさかそういう展開になっていくという。 田家:アイドルやることになっちゃったんだ(笑)。BiSのことをいろいろ見ていたら、つばさレコードという名前がありましたね。 西澤:事務所がつばさレコードなんですけど、もともと川嶋あいさんをマネジメントしている会社で。なので、渡辺さんも川嶋あいさんのマネージャーをやったりしたこともあって。 田家:そうなんだ。川嶋あいさんは渋谷の路上で歌っていて有名になった人ですから、路上発のシンガー・ソングライターの女性の走りみたいなところがありますもんね。 西澤:そうですね、本当に。 田家:ももクロも路上だったし、BiSもそう意味では路上から始まっているというふうに言っていいわけだ。 西澤:まさにその精神は持っているグループだと思います。 田家:なるほどね。アイドルやりたいと言っても、すぐにやれるものでもないわけでしょう。メンバーを集めなきゃいけないし。 西澤:幸運だったのが、その過程を全部記録してほしいということで、OTOTOYでBiSの活動記録をずっと連載していたんです。 田家:それは西澤さんがおやりになっていたんだ。 西澤:最初は別の方が担当していたんですけど、あまりに人間ドラマがありすぎて。もともと担当してくれていたライターさんが、自分を背負い込みすぎてしまって。 田家:背負い込みすぎて(笑)。 西澤:それで僕が引き継いでガッツリやるようになったんです。BiSは2010年に結成して2014年7月8日に解散していて。4年たらずだったんですけど、本当に苦しかったですね。 田家:苦しかった? 西澤:追いかけるのが。この後お話をするんですけど、知ってもらうためにいろいろなことをやる中で、メンバーも疲弊したり、追っている側もそれを見てつらくなってしまったり。楽しかったんですけど、苦しかった部分もありますね。 田家:最初のライブ出演が吉祥寺のイベントで、『Brand-new idol Society』っていうデビュー・アルバムのレコ発イベントが阿佐ヶ谷ロフトだった。その後も下北の小さなお店とか、かなりサブカルっぽいですよね。 西澤:インディーズのバンドと対バンしたりもしていましたし、活動の仕方は本当にアイドル文脈というよりてロック文脈だったなというのは思いますね。