かつて「疲労の原因」とされていた「乳酸」 認識を180度ひっくり返した第一人者を箱根路で見た【獣医師記者コラム・競馬は科学だ】
箱根駅伝の復路、戸塚中継所での学連選抜チームのたすきリレーの瞬間は感慨深かった。8区秋吉拓真選手(東大)から9区古川大晃選手(東大院)へ。スクールカラーである淡青のたすきが箱根路でつながれるなんてことは(1984年のチーム出場時は6歳だった。覚えていない)夢のまた夢だとしても、淡青のユニホーム同士でたすきをつなぐシーンを見られたのは、神宮で野球部が勝ち点を奪うシーンに立ち会えるくらいの感動だった。 横浜駅の近くで古川選手に給水したのが八田秀雄教授。人の運動生理学の第一人者であり、陸上部長でもある。記者が主に学んできたのは馬の運動生理学だが、当然、研究の先行する人の運動生理学の論文にも多く触れる。八田教授はとりわけ、運動負荷と血中の乳酸の動態について、研究者の認識を180度ひっくり返す意義深い仕事を成し遂げてきたフロンティアだ。 かつて乳酸は「疲労物質」「疲労の原因」だと思われていた。運動負荷をかけると、血中濃度が上昇し、同時に疲労感を得る。記者が小学生時代に読んだ複数の科学系読み物に「乳酸は疲労の原因と考えられている」と書かれていたから、大学に進むまで、記者もそのように思っていた。 ただしここには、統計においてやってはいけない典型的な誤りが含まれていた。「相関があるからといって因果関係があると即断してはいけない」とは、科学者が気に留めておかねばならない「いろはのい」だ。 有名な例に「アイスクリームの売り上げと水難事故の数」がある。アイスがよく売れる時は背景として気温が高いという事情がある。気温が高ければ水遊びに出る人が増えて水難事故も多くなる傾向がある。結果としてアイスの売り上げと水難事故の発生数はよくリンクする。でも両者に直接の因果関係はないので、例えばアイスの販売を政策的に制限しても水難事故は減らない。 八田教授らの仕事は、乳酸上昇も疲労も、運動負荷によって生じるのであって、両者に因果関係はないということを示した。それだけでなく、乳酸は運動周りの生化学でむしろ”燃料”として再投入されることが分かってきた。今では乳酸を疲労と直接結び付けて考える研究者はいないが、乳酸は運動負荷の程度を計る指標として競走馬の調教の現場でも重宝されている。運動生理学の発展にも思いをはせる箱根路だった。
中日スポーツ