「不妊治療中に仕事を休む難しさ感じて」苦悩した30代女性 キャリアを見つめ直した末の決断は『ウマ娘』がきっかけで
プライベートが仕事の犠牲に。業務で成果を出すも、結婚した夫との時間はほとんど持てない。多忙な日々で不妊治療も思うようにいかなかったという松元佳那子さん。夫の転職を機に、ある大きな決断をします。(全2回中の2回) 【写真】「妊活」「体外受精」を経て巡り会えた家族と松元佳那子さんほか(全9枚)
■妊活3年目に人工受精に取り組むも ── 大学で学芸員をされていた松元さんですが、現在は転職をして、フルリモートで働いているそうですね。なぜ転職をしようと考えたのでしょうか? 松元さん:転職をしようと考えた理由は2つあります。夫の転職に伴い引っ越したことと、不妊治療に取り組んだことです。とくに不妊治療によって、仕事に対する考え方が大きく変わりました。
前職は大学に併設された博物館で学芸員として働いていました。当時、その博物館の学芸員は私ひとり。抱えきれないほどの仕事をなんとかしようと、すべてを自分で背負いこみ、ムリをしていました。企画展の成功など、仕事で成果は出せましたし、達成感もありました。いっぽうで、自分の心と体を犠牲にしていた部分が大きく。29歳で結婚したのですが、仕事を最優先していたため、夫との時間もなかなかとれませんでした。 子どもはずっとほしいと思っていました。結婚してすぐ、妊娠陽性反応があったものの、残念ながら流産してしまって…。その後、自己流で妊活に取り組むも数年間うまくいきませんでした。結婚3年目くらいから病院に通い、人工授精に取り組み始めました。
ところが、多忙な仕事の合間をぬって通院する難しさを痛感して。妊活を始めると、身体のリズムに合わせて治療を行うため、半休を急に取る必要などがあります。先ほど言ったように、職場で学芸員は私ひとりだったので、仕事の調整は自分で決められ、休みは比較的取りやすかったです。でも、抱えこんでしまうタイプなので、「休んだぶんをどこかで穴埋めしないと」と、別の日に夜遅くまで仕事をしていました。 こうした生活を続けるうちに、知らず知らずにストレスを抱えていたんだと思います。通院しているのに妊娠につながらない不安と焦りから余裕がなくなり、いつもネガティブでした。完全に悪循環におちいっていたんです。振り返ってみれば、職場の人にもっと早くに相談すればよかったんだと思います。ただ、当時は「自分だけで解決するべき」と思いこんでいたし、周囲が男性ばかりで「妊活をしている」となかなか言えませんでした。