今季注目の“チェック柄”の定番、スコットランド生まれの「タータン」として認められる条件とは?
「大人の名品図鑑」チェック編 #2
秋冬の季節になると俄然見る機会が増える「チェック柄」。着こなしのアクセントになり、カジュアルな雰囲気を醸し出せるのが強みだ。今季のファッションはクラシック回帰の傾向もあり、柄のバリエーションも豊富に揃う。今回は代表的なチェック柄のアイテムを取り上げ、その歴史や逸話を探ってみる。 【写真】日本でも人気が高いタータンチェック柄「ブラック・ウォッチ」のスーツの全体像
さまざまなチェック柄の中で、世界中でいちばん愛用されているのがスコットランドで誕生した「タータン・チェック」ではないだろうか。 日本では「タータン・チェック」(以下タータンと書く)と呼ばれているが、世界的には、チェックは付けずに「タータン」と呼ぶのが普通だ。ほかのチェック柄と異なる点は、スコットランドの伝統的な織物として、スコットランド・タータン登記所に柄そのものが登録されている点だろう。ここに登録されていないタータンは「タータン」と名乗ることができない。すでに数千種類のタータンが登録されており、日々、世界中から登録依頼が来ているとも聞く。 ではタータンとはどんな織物だろうか? まず2色以上の色糸を使い、それらの糸が直角に交わる、綾織のチェック柄であること。2番目が糸の本数。経糸と緯糸に使う本数が同じで、基本パターンが繰り返されることだ。またタータンの起源は3世紀頃、スコットランドに定住していたケルト民族が着ていた織物と言われている。スコットランドの中でも北部のハイランドに住む人たちが昔からマントのようにして大判のチェック柄の布地を身に着けていて、女性はくるぶしが隠れるくらいの長さで、男性は一部を左肩に留め、下は膝丈くらいの長さで着用していた。このチェック地のことをタータンと呼んだ。1720年頃、この下の部分を切り離して、動きやすく改良したのが「キルト」で、これは現在でもスコットランドの伝統的衣装として着用されている。 ご存知の方も多いと思うが、イングランドとスコットランドは昔から争いを繰り返してきた。18世紀頃、両国が連合王国になってもスコットランドでは多くの反乱事件が起こり、その中心になったハイランド人たちが着用するタータンの使用が禁止された。両国間の和解に向けて事態が動き出すのが19世紀。1822年には時の国王であるジョージ4世がスコットランドのエディンバラを訪問した際に、式典などでタータンをわざわざ着用して融和をはかったという。 また、19世紀後半の英国全盛期のヴィクトリア女王はスコットランドを度々訪れ、バルモラル一帯の土地を購入、バルモラル城を建設した。女王はこの城に滞在中はいつもシルクのタータンをドレスの上に羽織り、王子にはキルト、王女にはタータンのドレスを着用させるほど、タータンを愛した女王として知られる。