「硫黄島出身の祖父」を地上戦で亡くした遺族が、遺骨収集現場で「明るくふるまっていたワケ」
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が13刷ベストセラーとなっている。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
「21世紀、最高ですよ」
硫黄島は自由な取材が原則禁止された島だ。渡島前に署名を求められた「誓約書」の中には、遺骨収集現場へのカメラの持ち込みを禁じる一文があった。僕はあくまで新聞記者ではなく、硫黄島の関係部隊の兵士の孫として、業務ではなくボランティアで収集団に加わった。「報道目的で紛れ込んだのではないか」。そんな誤解を招かないよう、初日から収集団員に自己紹介して回った。職業は記者だが、硫黄島には遺族に準ずる立場で来ているということを強調した。 ただ、千載一遇のチャンスで硫黄島に渡った経緯から、僕はとにかく緻密な日記を書いた。現場でノートとペンを出すことは誤解を招くので、メモは一切とらず、宿舎に戻ってから記憶をテキスト化した。 自己紹介して回る中で、さまざまな話を聞くことができた。中でもたくさん話を聞いたのは、硫黄島出身の祖父を地上戦で亡くした東京都小笠原村父島在住の楠明博さん(60)だ。 地下壕内の遺骨を捜索、収容する作業は、どの現場も同じ方式で行われた。団員たちは1列になって壕に入り、先頭の団員が土を掘り、後続の団員たちが土を盛った箕をバケツリレーのようにして壕の外に運び出す。最も体力を消耗する先頭は5分程度で交替し、最後尾に回る。最後尾の先には、ふるいを手にした団員が座って待機している。最後尾の団員は、彼らのふるいの中に土砂を入れる。ふるい担当の団員は、土の中に骨片がないか目を皿にして確認する。これらの一連の流れをただ黙々と行う訳ではない。箕を渡す際には「よいしょー」や「はいー」などと声を発したりして、案外、明るくにぎやかに行う。 そんな中でも明るいムードメーカーだったのが楠さんだ。小笠原村在住硫黄島旧島民の会のメンバーで、硫黄島の遺骨収集の参加経験は多数。がっちりとした体格で長身。休憩時間にはよく冗談を言って、団員たちの心を和ませていた。 遺骨収集5日目の休憩時間でのことだ。僕は楠さんに声をかけ、現場で明るく振る舞っている理由を聞いた。すると、やはりいつもの軽快な話し方で、こう答えた。 「つまらない顔してさ、ご遺骨捜してさ、出てきたご遺骨だって喜ばないですよ。つまんない顔でいるよりも、みんなでニコニコ、みんなでわーわーと迎えに来たよって言う方が全然、弔いですよ」 そのような考え方もあるのか、と僕は興味深く聞き続けた。 「毎日毎日、暗い顔していたら、ご英霊も出てくるのが嫌になっちゃいますよ。『こんなんなの』って。『俺らはここでこれだけ苦労したのに、今、こんなんなの』って。そう思われないように『21世紀、最高ですよ』って雰囲気で、私は迎えたいと思うんですよ」 つづく「「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」…硫黄島に初上陸して目撃した「首なし兵士」の衝撃」では、硫黄島上陸翌日に始まった遺骨収集を衝撃レポートする。
酒井 聡平(北海道新聞記者)