人気のカードゲームだったタロット、なぜ占いの道具になったのか 18世紀の転機とは
ルネサンス期に出現、なぜ古代の知恵やスピリチュアル化? 今は新たな使い方で注目
「吊るされた男」や「法王」といった謎めいた絵が描かれたタロットカードは、その起源をめぐって様々な物語を生み出してきた。現代のタロットは占いと関連付けられ、ルーツは東アジアにあると思われがちだ。 ギャラリー:タロットの歴史、1480年の「不屈の精神」のカードほか写真と画像7点 しかし研究者たちは、タロットカードのルールは中国やインドではなくルネサンス期のイタリアで形成されたと考えている。元々はイタリアのエリート階級のカードゲームとして始まり、占いという要素はずっと後の時代になって加わったという。
勝利のカード
「タロット」はヨーロッパで発明されたが、その由来となったカードゲームは中国が発祥だ。中国でカードを使った遊びが初めて登場したのは9世紀頃だが、それがどのように使われていたかについては諸説ある。ドミノの原型だという意見もあれば、賭け事に使うおもちゃの紙幣だったとも言われている。 それがのちに西のアラブやイスラム世界へと広がり、1300年代に、おそらくはエジプトからイタリアへ渡った。ほどなくして、ヨーロッパ全土のすべての社会階級でカードゲームが人気となった。 しかし1370年代になると、カードゲームは教会の不興を買った。賭け事に関連する軽薄な行為とみなされ、1370年代にはフィレンツェとパリで、1380年代にはバルセロナとバレンシアでカードゲームを禁止しようとする試みがあったという記録が残されている。 とはいえ、実際には禁止令を守らせるのは難しく、カードゲームの人気はますます高まっていった。貴族は、内輪でゲームを楽しみながら、精巧な手描きのカードを作らせ、美しい装飾が施された箱にしまった。 他のカードよりも位が上になったり、他のカードに勝利したりする力を持つカードが含まれたゲームは、すべての社会階級で流行した。この「勝利」を意味する「トライアンフ」という単語が、後に英語で短縮されて「トランプ」になった。 タロットの出現を示唆する最初の記述は、1449年、ベネチア軍の隊長からナポリ王妃イザベルにあてて書かれた書簡のなかに見ることができる。書簡には、その30年前に若きミラノ公子フィリッポ・マリーア・ビスコンティが考案したゲームに使う特別なカードを王妃に献上すると書かれていた。そのゲームは、「新しい、最高の勝利」が味わえるという。 書簡によるとビスコンティは、高名な画家ミケリーノ・ダ・ベソッツォに、「最高の技巧と装飾を施した」カードの絵を描かせた。このカードは現存していないが、16の古代神話の神々が描かれ、それらが美徳、富、純潔、快楽の4つのグループに分けられていたと考えられている。例えば、ビーナスは快楽に、アポロは美徳に含まれていた。 この書簡に書かれたカードの説明を基に、歴史家たちは、ルネサンス期の標準的なカードから現代のようなタロットカードに発展したのはこの頃だろうと考えている。ほかにも、タロットの歴史を形作ったカードに、ビスコンティの義理の息子だったフランチェスコ・スフォルツァが作らせたビスコンティ・スフォルツァ版というタロットがある。 1440年代には、イタリアの貴族フランチェスコ・フィッビアが62枚のカードから成るボローニャ版タロットを開発した。これを使って遊ぶゲームは後に「タロッキ」と呼ばれ、ヨーロッパ全体に広がった。そして、フランス語では「タロー(タロット)」と呼ばれるようになった。