人気のカードゲームだったタロット、なぜ占いの道具になったのか 18世紀の転機とは
ルネサンスから啓蒙時代へ
ルネサンス期にタロットが人気を得たのは偶然ではないだろう。タロットの歴史についての著作がある作家のヘレン・ファーリー氏が述べているように、ルネサンスは、「平凡な楽しみが享受され、個人の独立性と表現の感覚が高まった」時代と特徴付けられる。芸術が栄えた一方、この時代のイタリアは戦争に苦しめられ、壮麗さと富を誇示した教会は人々の軽蔑を招いた。 タロットカードの絵柄にも、その混乱が表れている。ビスコンティ・スフォルツァ版には、教会内で蔓延していた汚職、または身近だった暴力や突然の死が色濃く影を落としていた。例えば、ある1枚のカードには弓矢を持った骸骨の絵が描かれている。 こうした暴力的な絵柄にもかかわらず、200年もの間タロットはカードゲームとして楽しまれていた。それが大きく変わったのは、18世紀後半のフランスでのことだった。 啓蒙主義が推進する合理主義への反動として、秘儀的なものへの関心が高まった。そうした関心は、1700年代後半のナポレオンによるエジプト遠征により、エジプトに関係したあらゆるものへの興味によってさらに刺激された。
タロットのスピリチュアル化
タロットが古代の知恵の遺物であるというよくある思い込みは、主に19世紀のフランスの作家たちによって作り上げられたものだ。特に、エジプトマニアにとりつかれたアントワーヌ・クール・ド・ジェブランは、タロットが「トートの書」を使用した古代エジプトの神官職から生まれたという説を立てた。神官たちは、生き残るために自分たちの秘密をゲームのなかに隠したという。 一方英国では、1900年代初頭に秘密結社「黄金の夜明け団」の団員でオカルティストのアーサー・エドワード・ウェイトと画家のパメラ・コールマン・スミスによって、新しいデザインのタロットが作成された。これはウェイト・スミス版タロットと呼ばれ、キリストが最後の晩餐で使ったとされる聖盃の行方をめぐる中世の「聖盃の謎」伝説と関連付けられていた。 第一次世界大戦後の数年間、ヨーロッパや北米では、多くの人が戦争で失った愛する人との再会を願い、スピリチュアリズムに傾倒した。そして、タロットは占いの道具として再び人気を集めた。米国出身の詩人T・S・エリオットが1922年に発表した詩「荒地」には、タロットを使う占い師の女性が登場する。