「同時進行ってできなくて、器用ではない」演技に歌に貪欲な、松下洸平の人生設計
ボディビルダーでキレッキレだった母親
頭の中を整理しながら会話を進めていく。目の前で語る松下は、とてもクレバーな印象だ。どんな子ども時代を過ごしていたのか、興味が湧いた。 「子どもの頃はほんとに勉強が苦手だったんです。母親は、『自由になんでもやりなさい』っていう人だったので、外で遊んでいるか、家の中では絵を描いているか。一日中、めいっぱい遊んで、楽しい記憶しかない。小学校の卒業文集では、将来の夢に“猿”って書きました。とにかくめちゃくちゃ木登りが好きだったから、本気でなりたかったんです、あほでしょ(笑)。そのうち、母親も『そういえば、あなた勉強は?』って聞いてきて、ひどいテストの点数にひっくり返ってました」
松下の母親は画家で、一時期はボディビルにはまっていたというユニークな女性だ。 「母は昔からブラックカルチャーが好きなんです。僕が子どもの頃には、家にマッチョなモデルのカレンダーが飾ってあったりして。たぶん、そういうガッチリした体型が好みだったんじゃないですかね。好きすぎて、自分もボディビルダーになっちゃった、みたいなことなんじゃないかな(笑)。当時は日焼けして、真っ黒でしたからね、すごかったんですよ、まさにキレッキレでした。とにかく好きになったらとことん突き詰めるというタイプ」 母親が聴いていた音楽は、自然と体に染み込んでいる。ソウル、R&Bといったブラックミュージックはもちろん、日本人のアーティストなら、玉置浩二、桑田佳祐。2人は今でも憧れの存在だ。 「僕も母と同じで、幼い頃から好奇心旺盛でした。音楽も美術も好きで、中学生になってからはダンスも始めたり。でも、学校ではそんなに目立つタイプではなかったです。特にモテたりしなかったですし(笑)。今でもそうですよ。地元に帰って居酒屋へ行っても、気付かれないです」
八王子に抱いていた「劣等感」
地元は東京都八王子市。幼稚園から中学まで一緒だった幼なじみが4人いるという。松下が有名になっても、まったく特別扱いをしない、本当に気のおけない仲間たちだ。 「毎年正月には必ず集まる仲間です。最近はコロナで会えてないから、寂しいですね。僕がテレビに出るようになって『すごいね』って言ってくれると思ったら、全然。僕の仕事に興味がないんですよ、あの4人は(笑)。だからこそ、居心地がいい。飲みにいくときも、駅前の居酒屋の普通の席で、さすがに誰かにバレるかな……なんて思いながら飲んでたんですけど、僕って本当に気づかれないですね。ちょっとはバレてよと思うんですけど(笑)」 都心に通えなくもないが、やっぱり遠い。この絶妙な距離感から、八王子ならではの都心コンプレックスがあった、と松下は言う。