「突然クーデターが起きて」ミャンマーの戦争で悲痛の声も…元ミャンマー代表の亡命GKも参加したフットサル大会「いま戦わないと未来はない」
元ミャンマー代表GKも参加
フットサル大会には20代から30代の若い世代が目立つが、日本滞在が30年を越える年配の姿もあった。1988年に始まった『8888民主化運動』に身を投じたことで命を狙われ、日本に逃れたハンセインさんだ。彼は通訳としてコミュニティの人たちをサポートしながら、2000年にミャンマー・フットボールクラブ(MFC)を設立。このチームから、同胞たちの大会を支える在日ミャンマー人サッカー協会が生まれた。 「ぼくは日本に逃げてきたとき、2、3年で祖国に帰れるだろうと思っていました。でも現実は30年以上、ミャンマーに帰ることができずにいる。今日ここにいる若い人たちは、ぼくが来日したときには生まれてもいなかった人がほとんどです。クーデター前の民主化の時代を知る彼らは、いま戦わないとミャンマーの未来はないと考えて戦っています」 そう言ってハンセインさんが視線を向けた先には、明らかに周りとは体格や動きの違うキーパーの姿があった。ピエリアンアウンさん。2021年5月28日のワールドカップ予選で来日。国歌斉唱の際、3本指を上げることで国軍への抗議の意思を示し、日本に保護された元代表選手だ。彼は友人たちのチームに助っ人として参加。上位進出はならなかったが、セーブにキックにドリブルと随所に違いを見せつけた。 「ぼくは日本に亡命することになりましたが、それが他の国であったとしても同じ行動をしていたと思います」
「国のためにできることはすべてやろう」
そう語るピエリアンアウンさんは、東京都内、日暮里駅前のミャンマーレストランSRR(スプリング・レボリューション・レストラン)の厨房に立ちながら、週末になるとハンセインさんのチーム、MFCに顔を出している。ちなみにSRRも、収益のほとんどを戦禍に苦しむ同胞の支援に充てている。 「日本に暮らして3年になりますが、いつも国が平和になることだけを考えて過ごしています。日本ではサッカーを通じて多くの仲間ができて、今日もとても楽しい一日になりました。ここにいるミャンマーの人たちがそうであるように、ぼくは国のためにできることはすべてやろうと思っています」 元代表選手の淡々とした口ぶりから、むしろ戦いをあきらめない意志の強さが感じられた。大会翌日、在日ミャンマー人サッカー連盟は1月26日に新年最初のチャリティ大会を開催することを発表。52チームの参加枠は案の定、あっという間に埋まってしまった。
(「Number Ex」熊崎敬 = 文)
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