「国境通信」協力企業の撤退で振出しに戻った事業~日本にいる間に考えたこと 川のむこうはミャンマー ~軍と戦い続ける人々の記録 #8
2024年3月にこれまで勤めていた放送局を退職した私は、タイ北西部のミャンマー国境地帯に拠点を置き、軍政を倒して民主的なミャンマーの実現をめざす民衆とともに、農業による支援活動をスタートさせた。 【写真で見る】オクラの生育は順調 少しでも高く売れますように オクラは順調に育っているが、この秋、厳しい決断をしなければならなかった。これまで協力してくれた日本企業との決別だ。 ■一時帰国 日本の我が家で家族と過ごす日常に罪悪感 7月下旬に日本に戻ると、不在の間にたまっていた諸事にしばらく忙殺された。 これは一時帰国するたびに起きる避けられない事象だが、この1週間ほどを乗り切ると、頭と体が日本になじんでくる。 そして事あるごとに、「あー快適だ」と口にしている。 本当に日本という国は、私が住む福岡という街は、なんと住みよいところなんだろう、と実感する。 自分の家で、家族と過ごす日常。一緒に食卓を囲み、テレビを見て笑う。 久しぶりの在宅を、まだ無邪気に喜んでくれる子供たち。 私自身の家族であり、その暮らしの一コマなのに、少し離れたところから眺めて、「恵まれた人たちだな」と思ってしまう自分もいる。 家族や自分が幸せに暮らしていくことは、何も悪いことではないのに、「自分は恵まれすぎている」という罪悪感にも似た感情が芽生える。 私自身の精神もどこかおかしくなってしまっているのかもしれない。 ただ、こんなことを一人でうじうじと考えていても意味は無い。 この罪悪感を消すには、ミャンマーの人々への支援を前進させるしかないのだということは分かっている。 ■つらい決断「事業の継続いまのスキームでは難しい」 帰国後に、改めて協力企業の担当者と話し合ったが、やはり現在のスキームでの事業の継続は難しいという結論にしか至らなかった。 問題は買取価格の低さだけではなかった。 価格が多少低くても、大量に収穫したものをすべて買い取ってくれるのであれば、スケールメリットで補えると考え、その道も探っていた。 だからこそ、輸送ルートを確立して大規模な栽培・輸送に対応するための手立てなどを企業側には検討してほしかったのだ。 しかし、企業側が予定しているオクラ事業の規模は、現時点ではそれに見合うものではなく、大量生産できたとしても全量を買い取ることはできないという。 企業側としても、この事業の未来についてビジョンを描けていないことは明らかで、私は担当者に、「事業の将来性も示せないまま、提示されている値段でオクラを売ってくれと、私から彼らに伝えることはできない」と告げた。