能登半島地震で被災 輪島塗作家・小西紋野「一回しかない人生。蒔絵にかけたい」避難生活で復興に取り組む今を追う
1つの作品を作るのに1年ほどかかるので、今のうちにできること、例えばアイデアをあたためたり、他の工程を担当する職人さんのところに打ち合わせに行ったりなど準備をしておいて、下の子が保育園に行けるようになったら蒔絵に取りかかりたいと思っています。 ── 出産して子育て中も、そのままお仕事は続けられているということですね。 小西さん:小さいうちから預けるのは子どもにとって寂しいかな、と悩んだりもしましたが、「ここで中断してしまうよりは、自分がしっかり仕事を続けて、少し大きくなったら自分の仕事を見てもらう方がいいかな」と思いました。夫が漆のことも含めて理解してくれているので、できていることだと思っています。
■手を動かして作ることが輪島塗の復興につながる ── 元旦早々に震災に遭われ、本当に大変だったと思います。当時はどのような状況でしたか? 小西さん:私と夫と子ども達は自宅のアパートに、義父は朝市通りの店舗兼住宅にいました。地震後、義父は津波の恐れがあるのですぐ避難し、私達は道路が寸断されて車で移動するのが不可能だったので、アパートの敷地内で車中泊しました。アパートは高台にあるので1日目は輪島の町の様子がわからず、次の日に初めて全体の被害の大きさを知りました。
火災が発生し、夜7時くらいに義父から連絡があったときは、「まだうちから遠い」ということでしたが、10時前頃にもう一度電話がかかってきて、「5, 6軒先が燃えているからうちも燃える」と。あわてて夫が、歩いて朝市に行き義父と会いました。今考えると義父も店に火が移る前に物を運び出すことができたのではと思いますが、当時はあまりの事態に茫然として、通帳と印鑑を持って出ることしか思いつかなかったようです。 2日目も車は出せない状況でしたが、「このままここにいても助けがいつ来るかわからない」と思い、山を歩いており、1時間ぐらいかけて避難所に行きました。