能登半島地震で被災 輪島塗作家・小西紋野「一回しかない人生。蒔絵にかけたい」避難生活で復興に取り組む今を追う
漆なのでかぶれますし、蒔絵は材料や技法のバリエーションが豊富で、材料ごとに作業の工程が変わってくるので、その習得にも苦労しました。 ── まったく新しいものを学び、しかも周りは経験者というのは大変だったでしょうね。漆芸技術研究所を卒業された後は、どうされましたか? 小西さん:中島甚松屋蒔絵店の中島和彦さんに弟子入りし、4年間修業しました。中島さんは3代続いた蒔絵師さんで、古典蒔絵の優れた技術を持っていらっしゃる方です。
印籠(いんろう)というものを、皆さん水戸黄門などでご存じだと思いますが、表面の蒔絵もさることながら、蓋がパチンと閉じるための部分を作るのが難しく、最高級の技術が必要とされます。師匠の中島さんは若い頃から印籠の作り方の研究をされていたので、修行中に中島さんしか持っていない高い技術を間近で見せてもらえたのは幸運でした。 ── 漆芸の場合、学校卒業後は弟子入りをするのが一般的なのですか? 小西さん: 研修所は作品づくりを学ぶ場だったので、例えば漆器屋さんから請け負って器を作成する時、「どういう材料で」「いくらぐらいで」など、仕事として必要な部分を習う機会はあまりありませんでした。でも何も考えずに作ると、とんでもない金額になってしまいます。そういう基本的な部分を、師匠の仕事の様子を横で見ながら覚えることができるので、弟子入りすることも大切だと思います。
── 師匠は厳しかったですか? 小西さん:いえ、とても親切な方で本当によく面倒をみてもらいました。年季明け(弟子入り期間終了)後も、車で10分ほどの距離なので、難しい直しものを請け負った際など「どうしよう」と泣きついて行ったり(笑)。子どもが生まれてからは子どものことも可愛がってもらうなど、家族ぐるみでお付き合いしています。 輪島は小さいところなので、人と人との距離が近いんです。こういう町だから、それぞれの専門家がいて分業で作られる輪島塗が可能になったのだろうな、と思います。