能登半島地震で被災 輪島塗作家・小西紋野「一回しかない人生。蒔絵にかけたい」避難生活で復興に取り組む今を追う
小西さん:うちの場合、父は作曲家で母はピアノ教師と芸術に関わる仕事をしているせいか、私が「蒔絵をやりたい」と言った時は意外と驚いていませんでした。反対せずに、背中を押してくれ、私も両親といっしょに会津の職人さんの工房に行くなど、理解を深めてもらうように努めました。 ── ご両親とも音楽家ということで、「音楽の道に進め」とは言われなかったのですか? 小西さん:まったくなかったです。「バイオリンをもっとまじめに練習しなさい」と小さい頃には言われましたが(笑)、将来について「ああしろこうしろ」と言われたことはありません。ただ、「好きなことを見つけなさい」とはよく言われました。
── 今、あんなに美しい蒔絵を描かれているということは、やはり小さい頃から絵が上手だったのでしょうね。 小西さん:子どもの頃から絵を描くのは好きで、水彩や色鉛筆などで好きな絵を描いていましたね。あとは、輪島に行くことを決めてから通ったデッサン教室の先生がいい方で、「蒔絵を勉強しに行く」と言ったら、それに役立つような方法でいろいろ教えてくださいました。その時に習ったことが、今でも役に立っています。
■漆にかぶれながら「ついていかなくちゃ」と必死に修行 ── 蒔絵との運命的な出会いで始まった輪島での修行時代は、どのようなものでしたか? 小西さん:大学を卒業した2006年に、石川県立輪島漆芸技術研修所に入りました。最初の2年で木地、漆の塗り、蒔絵と全体的に教えてもらえる初心者コースを修了、その後、3年間の専修課程で蒔絵を専攻しました。 その学校に来る人は地元の子だとか美大卒だとか、漆やデザインの分野で何かしら経験のある人が多かったので、完全に未経験な私は最初の頃ついていくのに必死でした。授業で聞いたことを理解したと思っても、手を動かしてみると全然うまくいかなくて、何度も悔しい思いをしました。それでも、「ついていかなくちゃ」と必死で頑張りました。