3つのギリシア悲劇を再構築した『テーバイ』 長い創作期間を振り返る船岩祐太・植本純米インタビュー
独立した3つの悲劇がひとつになり、より見えてきたもの
――3本の戯曲は、テーバイを舞台にしつつも、執筆された時期も違いますし、神と人間、法の関係性や捉え方、テーマも異なります。 船岩 上演年代で言うと『アンティゴネ』が最初で次が『オイディプス』、『コロノスのオイディプス』は最後と言われているんですね。『コロノス…』はどうもソポクレスが最後に書いて、なおかつ死んだ後に上演されたとも言われているんですけど、(3作品の執筆時期は)20~30年は開いているんです。 「こつこつプロジェクト」でやっている時は、企画からあえてギリシャ悲劇っぽさみたいなものを引き剥がしていくということをやったんですけど、いま、改めて当時の時代背景みたいなものを確認していくと、それぞれかなり密接に繋がっているだろうということがはっきり見えてきていて、今回はそれを主軸に当時の政治的な解釈から生まれた台本として扱ってみようと考えています。 ――『オイディプス』で自らの罪(近親相姦・父殺し)を知ったオイディプスは自分の目を潰し、テーバイを去りますが、『コロノスのオイディプス』では、自らが犯した罪について「知らなかったのだから仕方なかった」という意味のことを言ったりします。 植本 そうそう(笑)、クレオンのせいにして「お前がお姉さん(=オイディプスの実の母)を差し出さなければ……」って責めたり。 船岩 あれは原文だともっと長いんですよ(笑)。そういう変化も多分、作家(ソポクレス)の熟成――90代で書いたと言われているんですけど、人生の見方みたいなものが定まった段階で書いたテキストなんじゃないかという気がします。 ――改めてこの作品に感じる魅力、いまの時代の国家と個人の関係などに通じると考えている部分について教えてください。 植本 市民からの突き上げというのは、いつの世もこういうものなんだろうなって思いますね。“炎上”とかもそうですし。 船岩 政治や政治家というよりも、統治のシステムそのものが、これまでどういう遍歴をたどってきて、これからどうなっていくのか? という部分は、すごく重要かなと思っていて、これが書かれた当時は、いろんな紆余曲折があった中で、民主制を確立していき、ちょうど黄金期を迎えるという時代なんですね。民主主義とはまた違うんですけど、民主制を検証する――褒める、あるいは、けなすみたいな描写がたくさん出てきますけど、民主制というシステムそのものを一考する材料には使えるかもしれないなと思っています。 単純に悪い統治者がいて、身を滅ぼしていくみたいな話ではなくて、それを支えているバックボーンにある考え方――“制度”の考え方に思いをはせるには良い作品なのかなと思います。 植本 どちらかというと、お客様はアンティゴネが言っていることに思いを寄せるのかなと思いつつ、でもクレオンをやってみると、彼が言ってることは、何か信じられるっていうか正しいと思えるんですよね、僕は。だから、アンティゴネと言い争うシーンも本当に「俺はこう思ってるよ」という気持ちで言えるし、一方の(アンティゴネ役の)加藤理恵ちゃんも、アンティゴネの言っていることを信じられるからこそ、ものすごいパワーでくる。そこで、お客さんにどう伝わるかというのは楽しみですね。 船岩 それで言うと、その前に『コロノスのオイディプス』があることによって、『アンティゴネ』という作品の見え方が全然違ってくると思います。クレオンが正しいか、それとも、アンティゴネが正しいか? という話は、ヘーゲル(18~19世紀)あたりまで遡って議論がされている問題なんだけど、基本的にそれは『アンティゴネ』という単体の作品で見たときの印象で語っている感です。なぜ彼女がこういうことを言い始めたのか? という原点が少し垣間見えたら、多分、いままでの印象とは変わるかなと思います。 植本 クレオンに関しても『オイディプス』があって、そこに出てくるクレオンがいるから、それで1本筋が通るかもね。 船岩 そうなんです。そこが難しいんだけど、うまくいくといいですね。