韓国、44年ぶり戒厳令で混乱→6時間で解除 支持率低下の尹大統領“大逆転”狙うも失敗
韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は3日深夜に「非常戒厳」を宣言し4日未明、国会が解除要求決議を可決したことを受け「解除する」と表明した。深夜の国会周辺には多くの市民らが殺到し警官らともみ合いになるなど、一時騒然。野党は尹氏の弾劾手続きを進める。支持率低下、身内のスキャンダルからの“大逆転”を狙った尹氏の賭けは失敗に終わった。 「戒厳撤回!」「戒厳撤回!」 深夜の国会の門の前で市民らからの叫び声がとどろいた。敷地内には軍のヘリコプターが着陸。本館への突入を試みる兵士を、国会関係者が出入り口に椅子などでバリケードをつくって阻止した。白煙が上がり、せき込みながら逃げ惑う人の姿もあった。 3日午後10時半ごろ、尹氏は突然、野党が北朝鮮の主張に従う「従北勢力」で国政をまひさせているなどとして「非常戒厳」を宣言。韓国での戒厳令は、市民に犠牲者がでた「光州事件」へとつながった1980年以来、44年ぶり。87年の民主化後初めてだった。兵士らが建物に突入する中、4日午前1時ごろ、国会(定数300)は集まった与野党議員190人の全会一致で解除要求決議を可決。与党「国民の力」の議員18人も賛成した。この決議を受け、尹氏は午前4時半ごろ、非常戒厳を解除し、軍も撤収させた。わずか6時間の戒厳令だった。集まった報道陣からは「一体なんだったんだ」と、あきれ声も上がった。 なぜ尹氏は非常戒厳を宣言したのか。コリア・レポート編集長の辺真一氏は今回の事態を「戒厳令は大統領の特権事項で、いわば伝家の宝刀。しかし、伝家の宝刀を抜いたら“竹みつ”だった。切れなかった」と表現。非常戒厳を繰り出した理由としては「総選挙で大敗し少数与党での国会運営」「支持率が10%台に低下」「全国の大学教授らからの辞任要求声明」を挙げた。加えて、金建希(キム・ゴンヒ)夫人に、国会議員補選で与党候補の公認決定に介入したこと、自動車会社の株価操作に関与したこと、知人から高級ブランドバッグを不正に受け取ったことなど、数々の疑惑が持ち上がり「どうにも打開できない状況の中、尹氏は元々は検察官で、政治家でも軍人でもない“素人”。本来、禁じ手である戒厳令を発令してしまった」と判断ミスを指摘した。 尹政権の全閣僚が辞意を表明。「共に民主党」など野党6党は、戒厳令は「憲法違反」だとして尹氏の弾劾訴追案を国会に提出。6日か7日に採決する方向で手続きを進めるとしている。弾劾訴追案は国会議員の3分の2に当たる200人以上が賛成で可決。野党だけでは200議席に届かないが、与党幹部も「誤った戒厳」と批判しており、合流者が出る可能性が高い。可決されれば尹氏の職務は停止され、憲法裁判所が罷免するかどうかを180日以内に判断する。 ≪市民と兵士、警官隊が一触即発≫“尹氏の反乱”はわずか6時間で収束したが、国会周辺では一時、市民と兵士、警官隊が一触即発の危険な状況だった。国会に入ろうとする市民を押し返そうとする警官。「韓国の軍人として恥ずかしくないのか」と兵士に叫んだり、兵士が構える銃を払いのけようと銃身をつかむ市民もいた。韓国国会の金敏基(キム・ミンギ)事務総長は3日深夜~4日未明に国会には軍のヘリコプターなどにより軍の計約280人が進入したと明らかにした。 ▽戒厳令 韓国では大統領は戦時やそれに準じる国家非常事態において兵力で対応したり、公共の秩序を維持したりする必要がある場合に戒厳を宣言できる。憲法は非常戒厳と警備戒厳の2形態があるとし、うち非常戒厳が宣言されれば言論や出版、集会、結社の自由などを制限できる。他国では中国で天安門事件が起きた1989年5月に戒厳令が発布され、約8カ月後の90年1月に解除された。 ▼静岡県立大・奥薗秀樹教授(韓国政治・外交)の話 理性的とは思えない決断を止める人物が周囲にいない尹氏の孤立ぶりを露呈した。4月の総選挙での与党大敗を受け、尹氏は強権的で独善的な統治スタイルを改めて野党と対話し協調すべきだったが、強硬姿勢を貫いた。最近の世論調査では保守層からも見放され、万策尽きて賭けに出たのだろう。戒厳宣言には与党の反発も強く、今後国会での弾劾訴追を経て任期中の罷免となる流れが濃厚となった。