「このまま引退かも」から2年…藤井聡太を返り討ち「ベンチプレス100キロ、握り寿司+鉄火巻で2人前」“筋肉隆々の羽生世代”丸山忠久の素顔とは
2024年の将棋界は、タイトル戦で連覇していた藤井聡太竜王・名人が主役だった。その藤井を銀河戦決勝で2年連続で破ったのが丸山忠久九段だ。近年は若い世代の棋士の活躍の陰に隠れていたが、名人在位2期という実績がいまだ健在と示した。そんな丸山の兄弟子に当たる田丸昇九段が、奨励会や若手棋士時代のエピソード、「激辛流」と呼ばれた棋風、ジムで鍛えた筋肉隆々の体に旺盛な食欲ぶりなど――盤上盤外について紹介する。【棋士の肩書はいずれも当時】 【写真】「しゃ、シャツがはち切れそう…」胸と腕がムキムキな丸山さん…じつは“ホッソリ”だった若い頃の名人時代と見比べ。「か、カワイイ」6歳藤井くんパジャマ姿や25歳羽生さん畠田さんの和服結婚式なども全部見る
スーツ姿の藤井に対して丸山は半袖シャツ
2024年12月21日に配信された第32期銀河戦決勝で、藤井聡太竜王・名人(22=王位・王座・棋王・王将・棋聖を合わせて七冠)と丸山忠久九段(54)が対戦した。戦型は角換わり腰掛け銀で、148手もの激闘の末に丸山九段が勝って優勝した。 実は、丸山九段は23年の銀河戦・決勝トーナメントで渡辺明九段、永瀬拓矢九段らを連破して決勝に進み、藤井竜王・名人を破って初優勝した。同一棋戦の決勝で藤井に2年連続で勝って優勝したのは、丸山が初めてのことだ。丸山、藤井は対局後それぞれこう語っている。 「2年連続優勝はでき過ぎ。今後、藤井さんと対戦する機会がどれだけあるか分かりませんが、そういう機会があれば大事にしていきたい」(丸山) 「結果は仕方ない。本局は途中で指しやすい局面もあったので、そこで間違えてしまったのは残念」(藤井) 24年の銀河戦決勝の対局は9月下旬に収録された。残暑が厳しかったので、丸山は半袖シャツで臨んだ(前年の決勝も同じ姿だった)。一方の藤井はスーツ姿である。
ベンチプレス100キロ…「鍛えればプラスに」
丸山の二の腕は筋肉隆々で、半袖からはちきれそうだった。ジムに毎日のように通って体を鍛えていて、ベンチプレスで100キロも上げるという。終局後に記者から「筋トレが将棋にいい影響を与えていますか」と問われると、このように返答している。 「筋トレと将棋はあまり関係ありません。将棋を勉強した方が有意義ですが、成長しなくて大変です。筋肉は50代で1年に1%落ちますが、鍛えればプラスにできます。体を動かすことで心身のバランスも良くなります」 丸山は、筋トレは人生や健康に有意義と思っていて、結果的にそれが将棋にプラスになっているようだ。そんな彼の将棋人生について、振り返ってみよう。 丸山は1970年9月5日、千葉県木更津市で生まれた。83年10月に佐瀬勇次八段の門下で関東奨励会の入会試験を6級で受けると不合格になった。同年の受験者は82人で、合格者は約2割の19人だった。 私こと田丸は84年6月から1年間、棋士養成機関「奨励会」の予備校に当たる「研修会」の幹事を務めた。15歳以下の少年少女が在籍し、最上位のB1からAに昇級すれば奨励会に無試験で入会できた。丸山はB1だったが足踏みしていた。木村一基、鈴木大介、行方尚史、藤井猛(いずれも現九段)らも在籍し、後年にタイトル戦に登場した。
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