「人はなぜ生まれ、生き、死ぬのか」中条省平が「人間の一生を描きだす驚くべき傑作」と絶賛した漫画『ツユクサナツコの一生』(レビュー)
父と二人で実家に暮らす32歳のナツコは、社会の不平等にモヤモヤし、誰かの些細な一言に考えをめぐらせながら、淡々と漫画を描き続ける。その日常を描いたのが、第28回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した『ツユクサナツコの一生』(新潮社)だ。 【マンガ】『ツユクサナツコの一生』第1話を読む 著者はイラストレーターの益田ミリさん。淡々と日々を送る登場人物たちの何気ないセリフにはっとさせられ、予期せぬ展開に心を揺さぶられる漫画の魅力とは? 朝日新聞で「マンガ時評」の連載をもつフランス文学者の中条省平さんは「マンガの真理を、最も単純に、力強く表現していて、心底感動させられた」と本作を激賞。中条さんによる書評を紹介する。 *** 益田ミリの『ツユクサナツコの一生』が今年の手塚治虫文化賞を受賞しました。 受賞した部門は「短編賞」ですが、これは、超大作の多い昨今のマンガのなかでは「短編」に分類されるということでなく、毎回10ページから14ページの「短編」を巧みにつなげて、一個の作品に仕立てあげる手腕の高さが評価されたのでしょう。短編がこつこつと積み上げられた結果、本作は、ひとりの人間の一生を描きだす驚くべき傑作になっています。 益田ミリの短編マンガは、代表作『すーちゃん』に見られるように、日常生活のささいな事柄を発端にして、ヒロインのああでもないこうでもないという思索と感情の揺れを描き、人生にはいいことも悪いこともあるが、それでも生きるに値するとして、読む人にささやかな、しかし確かな励ましを与えてくれるものです。 『ツユクサナツコの一生』もこうした基本路線に変わりはないのですが、その道をさらに一歩進んで、人はなぜ生まれ、生き、死ぬのかという、哲学的ともいえる問いを投げかけています。 そもそも、ヒロインのツユクサナツコという名前について、作品冒頭のエピグラフに、「ツユクサ…朝咲いて昼にはしぼんでしまう、はかない花」という説明が書かれています。これは、誰しも、生まれても結局死んでしまう人間の運命を表したものでしょう。ツユクサナツコという名前そのものが、人生の無常を否応なく感じさせるのです。 じっさい、このマンガの最初の大きな話題は、ヒロインの母親の墓選びです。ここで、彼女が父親と二人きりで暮らしている理由がようやく判明するのです。母親はすでに亡くなっていたわけです。このような繊細な伏線が本書では随所に張りめぐらされています。読みかえすたびにその物語作りの巧緻さに唸らされます。 ところで、ツユクサナツコというのは、ヒロインの本名ではありません。彼女はドーナツ屋でアルバイトをするかたわら、ネットでマンガを発表していて、そのペンネームなのです。本名は橋田というのですが、下の名前は、最初は分かりません。それがいつの間にか分かる仕掛けもじつにうまく、益田ミリはすべてをみごとに計算して描いているのです(作中のマンガに登場する猫の名前まで)。ぜひお見逃しなく。