「人はなぜ生まれ、生き、死ぬのか」中条省平が「人間の一生を描きだす驚くべき傑作」と絶賛した漫画『ツユクサナツコの一生』(レビュー)
そんなわけで、この作品は橋田さんのドーナツ屋の仕事と父親との二人暮らしを主に物語るのですが、その現実生活から発想されたツユクサナツコのマンガも同時に掲載していきます。マンガの主人公は、おはぎ屋を経営している春子という若い女性です。つまり、ここには、橋田さんとツユクサナツコとおはぎ屋春子という3人の女性がいて、その人生は微妙に重なり、すこしずつズレているのです。 例えば、橋田さんの母親は亡くなったことが分かりますが、おはぎ屋春子の母親は生きています。それでは、橋田さんはおはぎ屋春子の母親を生かすことで自分の母親の死を贖(あがな)おうとしたのでしょうか? そうかもしれませんが、おはぎ屋春子の母親を描いたツユクサナツコは、「春子の親 出てきたか」と自分でも驚いた様子を見せます。 つまり、ツユクサナツコは、現実の橋田さんの母親から、マンガのおはぎ屋春子の母親を、無意識のうちに、まるで死者を甦らせる霊媒のように呼びだしていたのです。 そのようにして、どうにも動かしがたい現実の人間の生死が、マンガのなかでもうひとつ別の人間の生死となって甦ります。人間はかならず死ぬものですが、芸術(マンガ)のなかで、そして人の記憶のなかで、永遠の生命を得ることができるのです。 芸術(マンガ)とは、そのようにして、死すべき人間の魂を救済し、永遠のなかに置くことのできる手立てです。ツユクサナツコのマンガは、この芸術(マンガ)の真理を、最も単純に、そして力強く表現しています。私はそのことに心底感動させられました。 たとえば、橋田さんはドーナツ屋の常連客だった老人が認知症で記憶をなくすところを目撃します。そして、昔の自分がなくなり、今の自分しかいないとしたら不安だと考えます。 しかし、ツユクサナツコのマンガのなかで、おはぎ屋春子は過去の自分が失われていくとしても、それは仕方のないことだと納得しています。そのようにして、自分が描いたマンガの春子が、自分を失うことに怯えるツユクサナツコを慰めるのです。こんなに繊細微妙な芸術(マンガ)の働きを描きだしたマンガがかつてあったでしょうか? 『ツユクサナツコの一生』は、いわゆる「マンガ家マンガ」のなかでも類例のない一作といえるでしょう。 こうしてささやかに、粘り強く、マンガ(芸術)による魂の救済をめざす本作ですが、ラスト近くで思いがけない展開を迎えます。ネタバレを避けるためにその詳細は明かすことはできませんが、しかし、これまで本稿で語ってきたことが、すべてこの展開の布石として作用していたことを、『ツユクサナツコの一生』を読み終わった方は理解してくださるでしょう。その意味でも、この作品の奥深さに感嘆するほかありません。 [レビュアー]中条省平(フランス文学者/学習院大学フランス語圏文化学科教授) 1954年生まれ。フランス文学者、学習院大学フランス語圏文化学科教授。フランス文学の飜訳のほかに、映画評論、マンガ評論など幅広いジャンルで活躍。2009年からは手塚治虫文化賞の選考委員も務めている。著書に、『カミュ伝』『人間とは何か 偏愛的フランス文学作家論』『マンガの論点 21世紀日本の深層を読む』『恋愛書簡術 古今東西の文豪に学ぶテクニック講座』『マンガの教養 読んでおきたい常識・必修の名作100』など多数。 協力:新潮社 新潮社 Book Bang編集部 新潮社
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