地震で酒蔵が2度目の倒壊 父の遺志継ぐ若き杜氏 瓦礫に埋まった酒米に「希望」
【ふるさと離れ、再び酒造りを】
2月、瓦礫の下から取り出した米袋が次々とトラックに積まれていた。 石川県の酒造組合連合会が県内各地の酒蔵に協力を仰いだのだ。中島酒造店を含む奥能登で被災した8つの酒造はそれぞれ他の蔵と協力して酒造りを行うことに。 遼太郎さんに声をかけてくれたのは同じく石川県小松市で160年の歴史を持つ老舗「東酒造」だ。 「私らにできることは酒造りだけなので。遼太郎くんらしいお酒を作ってほしいな」 社長の東祐輔さんも背中を押す。 救出した酒米と共に輪島市から100キロ以上離れた小松の地へ向かった遼太郎さん。酒造りの間2~3か月は泊まり込みの作業となる。共に生活してきたボランティアともしばしの別れだ。蔵も設備も住む場所も、すべてが異なる環境で遼太郎さんの挑戦が始まった。
【復興酒一号完成】
杜氏の朝は早く、早朝7時前には作業が始まる。 お米を洗い、味の決め手となる麹造りへ、ホワイトボードにはビッシリと数値データが記されており、温度の管理も徹底されている。 東社長によると、遼太郎さんはお酒の状態を気にするあまり深夜に作業を始めることもあるという。 「酒造りの時期は基本こうなんですよ。気になって仕方ない」 様々な工程を経て1か月後。あの酒米は日本酒を絞る前段階の「もろみ」になった。 蔵中に甘いお酒の香りが広がる。遼太郎さんはタンクの中いっぱいに入ったもろみをかき混ぜながら笑顔でこう話す。 「あと1か月もせずにお酒出来ちゃう。どうしよう」 そして3月下旬。初しぼりの日を迎えた。タンクに注がれる透き通った日本酒を遼太郎さんはそっと口に含みかみしめる。中島酒造店が受け継いできた銘柄「能登末廣」の純米酒が完成した。目には涙が浮かんでいた。
【再建への道、閉ざされたまま】
遼太郎さんには完成した日本酒を真っ先に飲んでほしい人たちがいた。生活を共にしてきた重機ボランティアの人たちだ。 数か月ぶりの輪島へ。 「おかえり、おめでとう」 ありあわせの食材で作った手作りの料理を用意して出迎えてくれた。