地震で酒蔵が2度目の倒壊 父の遺志継ぐ若き杜氏 瓦礫に埋まった酒米に「希望」
「もともと、継ぐつもりはなかったです。あれ(地震)がなければおそらく継いでないですよ」 右も左もわからないまま父の元で、時には県外の酒蔵へ赴き酒造りを学ぶ毎日。店を継ぐことが決まり、遼太郎さんが蔵入りしてからわずか10カ月後、父・浩司さんがこの世を去った。60歳の若さだった。 父の遺志を継ぎ、ここまで店を守り抜いてきた。 店を託されてから約10年、今年の大地震が再び中島酒造店の前に大きく立ちはだかった。
【再建へ光一筋~ボランティアとの出会い~】
1月8日。元日の地震から7日後、中島酒造店の辺り一帯に重機の音が響き渡っていた。遼太郎さんが暮らす酒蔵の一角を訪れると、遼太郎さんとヘルメットをかぶった数人が段ボールベッドに腰をかけ鍋をつついていた。土埃に交じって優しいだしの香りが広がっていた。集まっていたのは日本全国から来た重機を専門に扱うボランティアの人たちだった。余震もやまない輪島市の中心部で、ひとりで暮らす遼太郎さんを気にかけ生活を共にしていたのだ。日がたつごとに徐々に段ボールベッドは増え、いつの間にかボランティアが立ち代わりで泊まれる拠点となっていった。朝には共に撤去作業を行い、夜には、この酒蔵で語り合う。そんな毎日。遼太郎さんにとっては何よりの心の支えだったという。久しぶりに笑顔が見えた。
【再建へ光一筋~失われた酒米~】
1月17日、遼太郎さんの元に思いがけない吉報が飛び込んでくる。下敷きになった酒米が見つかったのだという。日本酒は酒米ときれいな水から作られる。遼太郎さんにとってまさに希望の光だった。 案内されるまま瓦礫の下を覗いてみると確かに茶色い米袋がいくつも見えた。しかし米袋の上にはいくつもの柱が折り重なるように覆いかぶさり、とても取り出せるようには見えない。 「ジャッキかませれば行けるか」 「クレーン持ってきて」
ボランティアである重機のスペシャリストたちが奮闘していた。遼太郎さんも不安そうな目で見守る。 作業開始から5時間近く。 「出た、出た」 抱えるのがようやくといった大きな米袋が姿を現した。周辺の瓦礫は取り除かれ、バケツリレーの要領で次々と米袋が運ばれていく。 袋が破れたもの、ガラス片が突き刺さったままのものもあったが、遼太郎さんがひとつひとつ確認していく。酒米を少し手に取ると目には涙が浮かんだ。 「きれいですよね。ようやく父の気持ちが分かったというか…」 光が差した瞬間だった。