ユダヤ文化を知る――正統派のラビが日本大使を「茶の湯」でもてなした話
多くの戒律を厳守するユダヤ教正統派のラビ(高僧)は、真夏でも全身黒づくめで山高帽を被っており、日本人からするとやや近寄りがたい雰囲気がある。そんなラビたちに日本の抹茶を味わってもらおうと、Culpedia(https://culpediajp.com/)の徳永勇樹さんが始めたのが「ラビ茶」プロジェクトだ。お茶を通して、遠い異国の文化との意外な共通点が見えた。 *** 2021年6月14日、イスラエル中部の町クファル・ハバッドのある邸宅で2人の人物が相対していた。スーツ姿の男性は水嶋光一・在イスラエル日本国特命全権大使(当時)。全身黒ずくめのもう1人は、ユダヤ教正統派のラビ、モルデカイ・グルマハ氏。書棚には300年以上も昔の本が並ぶ薄暗い部屋の中で、ロウソクの火が2人の手元のカップに黒光りするヘブライ文字を照らし出す。前代未聞の「茶会」の始まりである。 世界が固唾を飲んで見守るガザでの戦いの背景のひとつに、ユダヤ教とイスラム教、それぞれの宗教が存在することは知られている。ユダヤ教およびユダヤの文化とはいかなるものなのか。かつてイスラエルに留学し、かの地の人々と互いの文化を通して交流した筆者が、悲惨な戦闘が続く今だからこそ、その経験を読者と共有したい。 ※こちらの関連記事もお読みください。 ユダヤ文化を知る――京都の職人が作ったコマがイスラエル人に大好評だった話
ラビに抹茶を飲んでもらう
筆者は2019年10月から2021年9月まで、イスラエルのエルサレム市にあるヘブライ大学に留学していたが、新型コロナウイルス禍でアジア人差別の被害に遭った。それまで日本人だと言えば様々な人々に歓迎してもらっていたのが、たった数週間で状況が一変し、理不尽な理由で社会から爪弾きにされたのだ。石を投げられたり、唾を吐きかけられたり、社会における少数派の弱さを深く実感し、自分のアイデンティティを再度問い直す機会となった。 日本に一時帰国し、安心できる居場所を実感してようやく、自分は日本人なのだと感じることができたのだが、心の底では、自分が固く信じてきていたアイデンティティが簡単に揺らぐ状況に、ひどく怯えていた。当時は友人にも気軽に会えなかったので、一杯やりながら愚痴をこぼすというわけにもいかなかった。 そんな時、知人の紹介で、茶道歴70年を超える裏千家の茶人、小泉宗敏先生とご縁を頂いた。恥ずかしながら、筆者はそれまで抹茶ラテや抹茶アイスを口にしたことはあっても、抹茶という飲み物をちゃんと飲んだことがなかった。小泉先生が点てたお茶を頂いて、うまく表現できないがとにかく美味しかったことを、昨日のことのように覚えている。悩みや孤独を感じていた時だったからかもしれないが、お茶が全身に染み渡るような感覚があった。後に筆者が伝統文化に関する取り組みを始めたのも、今思えばこの1杯がきっかけだったのかもしれない。 ちょうど同じころ、やはり知人の紹介で、東京在住のラビ、ビンヨミン・エデリー氏と京都在住のラビ、モルデカイ・グルマハ氏とも知り合った。ラビたちは日本在住歴が長いが、常に山高帽を被り、ユダヤ人としての生き方を異国で実践している。イスラエル留学を中断して一時帰国せざるを得なかった筆者は、彼らの家を頻繁に訪れ、ユダヤ教の歴史や精神を聞くようになった。 そんな折に、ふと「ラビはお茶を飲めない」という話を聞いた。より正確な言葉を使えば、「コーシャ認証」を受けたお茶でなければ飲めない。イスラム教のハラル認証については、日本でもすでに市民権を得ているかもしれないが、実はユダヤ教にもコーシャという食べ物に関する宗教上の制約がある。当時、日本でコーシャ認証を受けた茶はほとんどなく、ラビたちは長年日本に住んでいるにもかかわらず、抹茶を飲む機会がなかったという。 この話を小泉先生にしたところ、非常に関心を持って下さった。先生はこれまで台湾、中国、フランス、米国等で日本の茶の湯文化を広める活動を続けてきた。筆者も大学院の修了プロジェクトを何にしようかと思案していた矢先だったので、「コーシャ認証を取ったお茶を、ラビたちに飲んでもらう」というアイディアを思いついた。小泉先生は、普段やり取りのある茶園をご紹介くださるという。エデリー氏とモルデカイ氏にも伝えたところ、2人とも「ぜひ飲みたい」とのこと。これで準備は整った。